RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

CELL(吹替版)を観る(ネタバレあり)

アマプラの無料視聴映画にCELLというホラー映画が入っていたので観る。

イギリスが舞台で、出だしはなんだか最近流行りの原因不明の病気で人がゾンビみたいになって人を襲う、という映画なのかと思って観ていたが、違う感じ。趣向が違うと言えば違う、でもその原因については語られない。また主人公がコミック作家で、自分の創作したキャラクター、赤いパーカーの男の夢を同行者とともに見たり、”群れ”に襲われないように逃げ回るという何とも救いようのない映画だ。

襲撃者の”群れ”は凶器使ってきたり、集団を作ると夜には集まって再起動を待ってみたりする。携帯使ってたらなんか変な情報が脳に入って、人襲ったり食ったりするのだという点を登場人物が想定するシーンは有るが、そういう趣向なのかなって程度。そしてそれは何故起き、治す方法はあるかみたいな説明はない。また、創作物である赤いパーカーの男が鍵なのかと思ったが、明確な答えはないし、そのキャラクターが唐突に現れ、でも物語にはあまり関係しない、というなんだか首を傾げる一幕も有る。だから、場面ごとに整合性は有るんだけど、全部まとめてみるとなんだかお話にはなってないような気がする。

まあ面白いは面白いんだが、これはお金出して観なくてもいいかなあって感じだ。その上(以下余白)

 

 

 

 

 

 

これはネタバレになるのだが、息子が家に書き残した携帯用トランスファの鉄塔を深夜に探していくと、大きな”群れ”がその周囲を巡り歩いており、鉄塔の側に赤いパーカーの男が立っている。主人公が怒りに任せ、車ではねてショットガンで銃撃しても、次のシーンでは起きているという異常性。”群れ”の中からやっと見つけた息子は、最初は正常なのに、次のシーンでは白目をむき周りの集団と同じような異音をあげている。主人公は車に積んであった大量のC4爆薬で、鉄塔と赤いパーカーのと男は言うに及ばず、”群れ”を自分ごと爆破するのだが、唐突にシーンは昼間に切り替わり、線路を息子と歩きながらこれからカナダに行くと息子に喋っている。そのシーンが暗転すると、爆破したはずの鉄塔の周りを”群れ”の一員となった主人公が異音を話しながら”群れ”と同化しているという、3つエンディング有るので、好きなのを選んで下さい、みたいな有る種投げやりなエンディングでスタッフロールに突入する…という構成。

誰かにこれ面白いの?って聞いてみたいが、前述の通りお金出してまで観なくてもいいかな…っていう感想が返ってきそうで、まあ困る。

シチュエーションごとに見れば悪くない、そう言えるんだがこれはどうかなあ。まとまりに欠く、といえば良いのだろうか。

取り敢えず私はアマプラで見れたので儲けた、って感じです。

打撃系など花拳繍腿!関節技こそ王者の技よ

昔から格闘ゲームが好きで、ストリートファイターからヴァーチャファイター、鉄拳とかSNKの餓狼シリーズをずっとやってきた。

まあシューティングとか落ちもの系もやってきたんけど。やらなかったのは、カードを使うシミュレーション系とか音ゲーかな。まあ色々有ったわけですが。

格闘物ではタイトルに有るような煽りが好きで。

敢えてキャプションはつけないけど、投げのみに特化するわけじゃないけど、餓狼伝説スペシャル山田十平衛が好きで縮地からの二本背負いに燃えまして、よくこれで対戦してました。あのゲーム奥行きを2Dで表現するのが良かったですね。敵の技を避けて奥のラインへジャンプする、というのが好きだったなあ。

で、関節技なんですが。

これはもう漫画とかで描かれすぎてるわけですが。痛めた関節が比較的すぐ治る、そもそも傷んでない、フルパワーでやられても靭帯切れないし骨折れない。そんなばかな!

ケンガンアシュラという漫画を最近読みまして。これは格闘マンガとしてはリアル系なのかな、と思いますが。対戦者がもうボコボコにされて関節折られても、痛いの耐えちゃうし折れた関節無理に戻して戦うし、すごいとしか言いようがないわけです。

指の関節がめちゃめちゃに折られてるのに、それを無理に握り込んで拳を作るとか有り得ないよね…っていう感じなわけです。

グラップラー刃牙や高校鉄拳伝タフなんかも読みましたが、どれもファンタシーの世界ですよね。読んだ人ならわかるだろうけど。

というところで、タイトルに戻るわけですが。

このセリフが出てくるのは魔女っ子アニメであるというのが、笑わせてくれます。意味は各自お調べ下さい。

なんでこんな事を書いたかというと、私の母が一昨年だったかな、足の小指を骨折したんですよ。聞いた時は、えって言って言葉に詰まったんですが、母は何やら家族と言い合いして、その時ものすごく怒っていたそうで、プリプリしながら庭に降りようとしたんです。そうしたらサンダルが上手く履けない、おかしいと思ったら、小指が真横に曲がったそうです。どうも怒りのあまりソファにつまづいたらしく。

普通なら血の気が引くところですが、母は怒っていたので小指を力任せに戻したんだそうです。足の小指ですよ?そしておもむろに病院に行って骨折したようだ、と告げたら外科が大騒ぎになって。痛くないの?って聞かれて、少し、って答えたというのがすごいですよね。我が母ながらむちゃだなあ。

でもすぐ骨を戻したのはよかったです、と医者から言われたそうな。骨折した人は真似してみるといいよ!(しない)

 

クワイエット・プレイス (字幕版)

アマプラ観放題でクワイエット・プレイス (字幕版)を観た。

 

音に反応する怪物が全世界の人類を殺して回るなか、ろうあ者の家族が山に囲まれた大きな農家に潜んで、怯えながら暮らすという、割とデッドエンドな感じの出だしなのだ。

靴音が響くといけないという理由からか、父母と娘息子という4人は靴を履かずに移動する。そして音の立ちそうな砂利道や線路は砂が撒いてあって、音をさせない工夫がいくつも描かれている。ボーッと見てたので終盤までわからなかった。

そしてこの家族、全員がろうあ者だと思ってたら、実は娘のみがろうあで、他の三人は娘と会話するために手話を覚えていたのだが、音を立てないという利点で日常も手話だったのだ。

この設定も中盤以降にやっと分かって、なるほどな、と思わされた。ただ、そこに至るまでが結構辛い。じっくりと観なくてはならないので、そこに着くまでダレるのだ。

が、家族の情愛は余すところなく描かれている。家族の温かみというのが、丁寧に描かれているのは良かった。作劇もほんとのホラーなので、好きな人にはたまらないだろう。BGMも控えめだし、音が聞こえないというのを示すためにほとんど自然音だというのもよかった。

そして実は親は喋れるというのは新鮮味があった。そして死人もほぼ出ないので血がだめな人も楽しめるのではないだろうか。終盤に出てくる老夫婦、なのかな、この二人が唐突に出てきて唐突に殺されるのだが、話の転換には良かったのではなかろうか。何のために出てきたかはわからないが、そういう役割だと思えばどうということはない。

他の驚きポイントとしては、奥さんは妊娠中で、出産まで後三週間ほどというのが示されるのだが、ついに怪物に隠れ家を見つけられてしまい、そんな状況下で切迫早産になってしまうのだ。うめき声すら挙げられない状態で出産するとか、胆の座り方が違う。常人には無理じゃないのか、という感想しか無い。

子供と奥さんのいる隠れ家から怪物を振り返らせるために、父親は最後の叫びを上げる。すごみのあるシーンだ。子供たちを信じた父親も素晴らしい。

しかし最後に父親の復讐に奥さんがポンプショットガンをガシャって弾込めるって…何が始まるんです?

このシチュエーションで終わるのはずるい。何だよ続編狙いかよって気持ちになる。尺の問題も有るんだろうけど…それはまあいいとして、とにかくよく出来たホラー映画で有る。ちなみに爽快感はない。

アマプラに入ってたら観て損はない。今なら観放題。

それは夢だよ

時折白昼夢のような事があって困惑する。

もうすでに受け取っている荷物を忘れて、まだ来ないなといぶかしんだり、もうやってしまったことを早くやらなくちゃと焦ったり。

自分だけならともかく周囲の人に電話かけたりして。あ、もうあれは終わったんだよな、と得心すると恥ずかしくてたまらない。

もうなんだかわからないことになると、本当に困ったものだ。

今日もスマホの操作がわからなくて調べたのに解決せず、最後の手段にコールセンターへ電話した。ホントにかけたくないんだけど、手も足も出なかったのだ。そしたら5分くらいで解決した。やったー!

そして時間を置いて自分でもやってみようとしたら、操作がわからない。ちょっとまってこれ何?

うろ覚えで操作したができない。あの時はすぐに分かったのに!泣きそうになったが、コールセンターはもう営業時間過ぎてたので明日電話する。

恥ずかしい。

死とは忘却なのか

以前から書いている通り(いや実は書いた気になっているだけなのかも知れないが)私は死を忘却と理解している。

死を悼み、いくら祈りを捧げたところで、死者はもうすでに他の世界へ旅立っている。だから彼らとは交流もできないし、思い出してやることだけが、精一杯だ。

そして少しずつ死者は記憶と変わっていく。死者として記憶に還元されれば、そこにはなにもない。思い出してやること、供養してやることしか出来ない。そしてそれらの行為は、最終的に自らを安堵させてやる事に過ぎず、死者は何も語らない。

私はそういう考えの時、忘れられた時、死者は新しく歩みだすのだろう、と思う。言ってみれば親しかった友人と別れ、今は何をしているのかもわからない、というような感じだろうか。

自分も死ねば結局そのサークルから離れることは出来ず、人が思い出す時にPOPするモンスターのようなものになるだろう。そして記憶が薄れたら、今にも帰ってきそうな気がする、と言われた時期も越え、私の死は確定する。

 

いくら好意を持っていても、死者を忘れないというのは、苦痛だ。生死どちらの側にいても、それは辛いものだろう。

もし私が死んだら、さよならを言って忘れて下さい。夢に出るかも知れませんが、それだけのことですから。別れの挨拶の後に、思い出すことは辛いことです。だから、私のことは忘れて下さい。

 

ん、まだ死ぬような局面じゃないけどね。生前葬って高いのかな?

死ねないあなたへ

山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う

 http://www.kangin.or.jp/learning/text/poetry/s_D3_02.html

 

っていう古い詩がありますね。なんか詩吟で詠ってるの聞いたんですけど。

幸いという不定形の何者かが、住んでいるってつい思っちゃうんですよねクトゥルフ神話脳なので。

あと3年生きたら死ぬ、って人と話しまして、死ぬ時期決めるのは無駄だから止めましょう、と止めたんです。彼にしてみればおせっかいも甚だしいことですよね。いいんだ生きる実感を受け止めたいんだ、という人に「死ぬ?無駄じゃ無駄じゃ。」ってじゃこうねずみさんみたいに言ってみたんだけど。まあ意思の硬い人は何言っても無駄だし、こちらの言うこともわかるが、このスケジュールは変わらない、という人にはまあ仕方ないよね。

死は突然やってきます。幸せの絶頂でも、どん底人生でも、小市民の幸せにも、言ってしまえば、公平に死はやってきます。

だから死への期間を決めることはない。いつ来るかわからない死を規定することで、何かが変わるものでもありません。

山のあなたにあるという幸せを探しに行くのも人生。ただ立ちすくんで空を見上げるのも人生。

 どうせ日に日本人は3800人くらいが死んでいるんだから、望んでその数を増やすことはない、と思うのです。

 

死にたい、という人ほど死なないものです。私も何度か自殺未遂をやらかしたし、このまま死ねるなら幸せだ、と感じることもありました。

でも生きている。脊椎の病気を患ってから、死にたいけど死ねない、というアンバランスさを感じて生きている。

人生、と言うか社会というか世界と言うか。これからこぼれ落ちる事が死なのでしょう。

 

自死を選ぶ時は、助からないようにするのが肝要です。下手に助かると、いろいろと問題が起きます。何度も繰り返すことになるし、死ねるという確証もありません。彼の太宰治も数度繰り返して、ようやく死んでいます。

こわいですね。

私も死の準備をしておきながら、こわくてしまい込んでいます。絶望でいつか踏ん切りがつく時に、それを使いたいと思います。

地獄のハイウェイ

というSFが昔ありまして。

ロジャー・ゼラズニイの作です。今は古書でしか読めない小説でしょう。前のエントリでこの人の「影のジャック」をいいぞいいぞ、と言っていたのはこういう作品もあるためで。映画「世界が燃えつきる日 (1977)」の原作でもあります。映画の方はひどいと酷評されていたのを思い出します。公開時観に行けなかった少年からすると、原作からそう乖離はしてないんじゃないかな、と思います。荒野を走るランドマスター号やいろいろなアクションシーンなんて、今では3Dでこなしちゃうだろうけど、この時代のSFxだからこそ光るんですよね。

読書メーターとかみると、古い、とか言ってる人もいますが浅倉久志先生訳でハヤカワ文庫SF 1972年刊行となると作風はその当時なりだし、西部劇の要素を持たせるとは、なかなか粋なのではないかな、と思います。なにせ、世界規模の核戦争で世界は一度終わった、残りの人間も早晩滅びる、という世界を舞台にしているんですから。

これも押し入れを漁ればきっとあるはずなんだけど…どこを漁れば良いのかわからない、というジレンマ。いっそ買った方が早いかも。そうして本というのは増えていくのですね。

 

で、なんでそんな事を行っているかと言うと、下の画像をご覧ください。

 

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私は食料品などの買い物をほぼネットスーパーでこなしています。たかだか3日や4日の食料品を不自由な身体で買いに出るのも辛いし、転んでしまおうものなら、救急車のお世話になりかねない。

なのでネットスーパーの配送で一週間分くらいを買いだめするという事になります。

だがしかし。これはひどい

今まで使ってきましたが、埋まっていてもせいぜい3日だった予定が一週間ですよ。それも夜中、スケジュールが組み替えられた直後をスナイプして、ようやく買い物ができたんです。金曜日予定あるのに…

これもすべて世界が一度終わりかけたせいです。

ああ、コロナウィルスがもっと致命的なものだったら。買い物ごときでこんなにイライラする事もないのに。ネットスーパーなんか使わず、家族でランランラと楽しくドライブしてイオンでもどこでも買いに行け。てめえらいっぺん死んでこい。

もう保存食料とか言ってられないので備蓄のご飯も食べちゃいます。

 

それと最後になりますが、感謝してもしきれない、東京のハ○ダさんから、アマギフでごはんとコーヒーをいただきました。ありがとうございます。何も食べるものがなくても、ご飯だけはある。そして食後のコーヒー。うれしいです。