RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

約二年経ったので、闘病生活のことを書く(その四)

ナースセンターから丸見えの常時監視が必要ではあるが、常に看護師が見ていなくてもいい、というなんだかよくわからない病室で、映画などでよく見るバイタル確認機器、オシログラフみたいな(むしろ、本当にオシログラフなのかも)画面でピコーンピコーン言ってるやつに繋がれたまま、ほぼ一週間が過ぎた頃。

ホント御飯の時間が辛かった。内蔵病ではないので、常食のものが出るのだが、上体を持ち上げるのは三十度まで。のちに四十五度までになった。ご飯はこぼすわ味噌汁は飲めないわ、しまいにはおかずが見えないという有様。

ご飯はすぐ、おにぎりにしてもらって食べやすくはなったけど。それでもたいへんなことには変わらない。汁物が一番やっかいで、味噌汁などは最初残していた。すぐ看護師の人に見つけられて、ストローで飲みなさい、とやられた。お味噌汁ストローで飲むの初めてです…。

何やかんや初期を乗り切ると、さすがにもう退屈で仕方ないのが苦痛になって、ついにつないだものを外せないか尋ねた。コイツは体液に出血があるかを見るため(傷口が大きいと出血部位でかさぶたになってしまう)、脊柱管液をドレーンで抜き、紙コップ(私は検尿カップだった)に導いて、医師が液の濃淡を見て判断していたのだ。それはいい。

スマホの自撮りの要領で傷口撮った時、「えっ!ちょ!っま!」と声にならない声が出た。ドレーンは見た目熱帯魚飼育に使うような見覚えのあるシリコーンホース、それを背中の傷に突き立てられて、身動きを制限されていたのだ。

まだだめ、と言われる度にうんざりしていたがようやくドレーンが外される事になった。医師がやって来て傷の確認、そしておもむろにズルズルとドレーンを引っ張り出し始めた。ここでやるの!?消毒された処置室とかじゃないの?と聞いたら、行くのが大変だし処置室が他と比べて清潔なわけじゃないよ、と言われてズルズル。さすがにスポンという擬音は鳴らなかったけど。

痛むかな、という心配は杞憂に終わったので嬉しかったな。ただ首のカラーは変わらず分厚いもので、すごく不快だった。でも経過を見て一般病棟に降りましょう、という医師の言葉で少し救われた。

 

これが手術後、十日めくらい。そこで、私は自分の身体に重大な問題が発生している事を認識する。

 

次回は「身上ままならず」という事でベッドサイドの事でも書きたいですね。