RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

あらかじめ失われた日記

今回はストレートにタイトル通りです。(うん?)

 

私は結婚するまでは恋愛至上・コントロール可能論者でした。恋愛は自分でコントロールできると思っていたわけです。

事実、結婚もそれまでの恋愛も自分の意志で決めてきましたし、相手に振り回されることもなかったわけです。

まあ、それは間違いだったのですが。

そして結婚後、恋愛関係に陥った事で、自分の論説が実は自身を欺く思考だったことに気づきます。運命の相手に巡り合ったからです。

最初は肉体の関係で、そこから恋が始まったわけですが、すぐ自分の今までの考えは、間違いだったと思うのです。

しかしそれも愚行を補強するための思考でしか無いと、10年経ってようやく思い当たります。

いくら運命の恋の相手と思っていても、結婚していれば結局は他人なのです。

愛を語り恋に生きようとして、許されざる罪を背負い込んでも、相手はそれを褒めてはくれません。それどころかそれが当たり前という事だったのです。妻子を放逐し、20年来の友人を投げ捨て、それでも彼女を失いたくないために、彼女の言葉に従って生きていました。

それが続いた20年とは、何と長い月日でしょう。でも、彼女は私を捨てた。

 

私は今後、自分を罰しながら生きていくしか無いと、今思います。

彼女にもそれは言いたいことが有るでしょう。私の愚行をあげつらいたいこともあるでしょう。

全ては遅いのですが。

 

私は精神的に薄弱な、愚かしい人間なので、彼女と付き合っていく上で何度も己の罪深さと愚かしさを呪い、死のうと思ったか知れません。

死ねなかったことは本当に残念です。

今生きいていることは、恥と思います。

でも、彼女が別離を決意した時に、全ては終わっていたのでしょう。すべての考えが剥落したからこそ、それを感じられたのかもしれません。

己の浅はかさ、弱さ、愚かさが憎いです。

そして、価値のない人間に堕したことが、情けないです。

己を嘲笑することでそれを無理やり封じ込めることだけが、今できるたった一つの方法です。

 

意味?意味などありません。彼女にも私にも、この関係にも。

有るとすれば過去の輝きのような価値だけでしょう。でも、それも泥濘の中に落とした水晶のようなものです。

全ては失われた。失われてしまったのです。

 

あらかじめ失われることを決定されていたように。