RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

ウィザードリィ日記

SF作家であり翻訳家であった矢野徹御大の書かれた、表題の本を読んだ。1987年、昭和62年が初号発刊なので、未だ平成が来たらぬ世界で書かれたエッセイ集だ。

この年代の方としては驚くべきことに、コンピュータやゲームといったものに熱中し、遊んでいることが描かれている。

もちろん仕事のことに使える、という気付きはあったものの、本題は遊び。すばらしい熱意だ。

特にウィザードリィにのめり込む姿が衒いもなく描かれていて、心底からお好きだったのだ、というのがよく分かる。

私もパソコンの触り初めはウィザードリィを勤めていた編プロのパソコンで遊んだことが最初だった。本当に熱中して、色々と友達と競ってみたものだった。

矢野先生はSF大会では狂乱酒場というのを主催して、ファンや作家たちと親しく語り合っていたというのを覚えている。私は直接の面識はなかったのだが、実は一つだけ矢野先生のエピソードが有る。

1988年、水上温泉のホテル一つを丸々借り上げて開かれたMiG-CONで、夜更けに一人で、大浴場に入っていた時だった。風呂から上がり、廊下に出たところで、知っているような知らないような人が歩いてくる。が、こちらはメガネを部屋に忘れて、たった3メートルの距離の人の顔がわからない。結果顔をしかめたような、眇めた顔で相手を見ることになる。

あ、これは矢野先生!と気づいた時はもう遅く、ひどく不快気な表情で矢野先生は風呂場に向かわれてしまった。

ああ、見えなかっただけなんです…と弁解したかったけれど、わざわざ風呂場に追いかけて言うなんて、そんな事も許されるはずがなく、MiG-CONを想う時、とても恥ずかしかった事を思い出す。

 

角川書店ウィザードリィ日記を読み終わり、解説を読んでいた時、最後の解説者名で、あっとなった。風見潤先生であったのだ。消息が知れず今も生死不明であるという。風見潤先生は解説も書いていたのか。翻訳もされていたのだから、その繋がりかな…と思った。クトゥルーにハマるきっかけをくれたのは風見潤先生なので、ここにも奇妙な縁を感じる。

 

あの時代が懐かしく思えるのは、単に自分が年をとったから、だけではないと思いたい。