RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

死ねないあなたへ

山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う

 http://www.kangin.or.jp/learning/text/poetry/s_D3_02.html

 

っていう古い詩がありますね。なんか詩吟で詠ってるの聞いたんですけど。

幸いという不定形の何者かが、住んでいるってつい思っちゃうんですよねクトゥルフ神話脳なので。

あと3年生きたら死ぬ、って人と話しまして、死ぬ時期決めるのは無駄だから止めましょう、と止めたんです。彼にしてみればおせっかいも甚だしいことですよね。いいんだ生きる実感を受け止めたいんだ、という人に「死ぬ?無駄じゃ無駄じゃ。」ってじゃこうねずみさんみたいに言ってみたんだけど。まあ意思の硬い人は何言っても無駄だし、こちらの言うこともわかるが、このスケジュールは変わらない、という人にはまあ仕方ないよね。

死は突然やってきます。幸せの絶頂でも、どん底人生でも、小市民の幸せにも、言ってしまえば、公平に死はやってきます。

だから死への期間を決めることはない。いつ来るかわからない死を規定することで、何かが変わるものでもありません。

山のあなたにあるという幸せを探しに行くのも人生。ただ立ちすくんで空を見上げるのも人生。

 どうせ日に日本人は3800人くらいが死んでいるんだから、望んでその数を増やすことはない、と思うのです。

 

死にたい、という人ほど死なないものです。私も何度か自殺未遂をやらかしたし、このまま死ねるなら幸せだ、と感じることもありました。

でも生きている。脊椎の病気を患ってから、死にたいけど死ねない、というアンバランスさを感じて生きている。

人生、と言うか社会というか世界と言うか。これからこぼれ落ちる事が死なのでしょう。

 

自死を選ぶ時は、助からないようにするのが肝要です。下手に助かると、いろいろと問題が起きます。何度も繰り返すことになるし、死ねるという確証もありません。彼の太宰治も数度繰り返して、ようやく死んでいます。

こわいですね。

私も死の準備をしておきながら、こわくてしまい込んでいます。絶望でいつか踏ん切りがつく時に、それを使いたいと思います。