RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

信じるという事

迷信やジンクスが好きだ、と言うとちょっと語弊があるのだが、日常のご愛嬌と言う意味で好きだ。
信じてはいないし、それにすがってもいないけれど、日常それがあるとほっとしたり、安心したりできたりする。
だから、排斥するような気持ちにはなれない。
たとえばくしゃみ。人の噂に感応して出ると言うこの迷信はお気に入りだ。
くしゃみして寸暇を空けずメールが届けばそう思いたくもなる。
なに、くだらないと言わば言え。
あの人が自分のことを考えてくれているかも、と考えただけで幸せになれるのだから、これほど良いことはない。
まあ、人間がおめでたくできている証左かも知れないが。

昔は迷信が嫌いで、あえて切り捨てて来た。
けれどここしばらく、そうした兆しはただ在る事で、精神的に効能があるのだなと思うようになった。実際、他愛もないがくしゃみから誰かを連想したり、何かがうまくいったから今日は良い日、なんていう気の持ちようが一日を過ごす事に重要なのだとおもうのだ。

時々考える。
迷信を無心に信じ続けていられたら、どんなにか幸せなことだろう。
なぜメールが来ないのだろう。
こんなにくしゃみをしているのに。