RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

南泉斬猫


猫つながりというわけではないが、シュレディンガーの猫の話を見聞きすると禅の公案の「南泉斬猫」が読みたくなる。
南泉斬猫というのは無門関という書物にある一文で、簡単に言ってしまうと次のような話だ。
唐の末期、中国の有名な禅宗寺で若い僧たちが一匹の猫について言い争っていた。
通りがかった高僧の南泉禅師は猫を提示して言った。
「僧たちよ、この猫をもって禅の一語を言い得るならば、この猫を助けよう。言い得ぬならば、斬り捨てよう。」
その問いに答えられるものは誰一人いなかったため、南泉は猫を斬った。
夕方、南泉の弟子趙州が外出先から帰ってきた。南泉は彼に昼間の一件を話した。すると趙州は履いていた靴を脱ぎ、それを自分の頭の上に載せて出て行った。南泉は「もしお前があの時いたならば、猫は救えていたのに。」と言った。


禅の公案なので、事実かどうかは解らない。
殺すとかちょっと物騒なので変なところに反応する人もいるが、これはいわゆる思考実験と捉えるべきものだ。公案自体そういうものが多い。
有名なところだと片手の拍手はどんな音がするのか、誰もいない深山で木が倒れたとき音はするか否か、などというものがある。
この二種の命題は、科学哲学的だなあと感じ入る。というか、禅の側からは観ることができないので少しでも理解できる科学哲学の側から見ているだけなのだけど。


けれど南泉斬猫だけは、なんだかよく分からない。