RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

世界なんかニセモノでかまわない

科学を検証するとき、大仮説というものが提唱される。
たとえば、それはビッグバン以前の宇宙の振る舞いを研究する超弦理論であり、生命誕生を起こしたのは知的設計者という説もそうだ。

もう一つ、世界の成り立ちとしてこんな仮説も提出される。
この世界はかりそめで、私の記憶は実は数秒前に何者かが作った。
だがそれを確かめるすべはない。すべてニセ記憶と否定できるので、その可能性は考えられる。
では、私のこの現実はいったいなんなのか?

実存派の哲学論がこれに近い。
世界は自己認識によって構築されているので、自分が死ねばそれは失われるのだ。
認識論的唯心論。

ではこの感情とはいったい何だ。
ジョニーは戦場へ行き、すべての感覚を失って──と言う事はつまり、現実を失って帰ってきた。
私も現実を失えばこの問題を考察できるのか。
くだらない自分と釣り合いもしないそれは、現実なのか。
私が苦しむこの世界に正解はあるのか。
現実に正解なんか存在しない。
あるのは事実と、結果だけだ。簡単な事だよ、ワトソン君。

世界がある日終わってしまうなら、こんな悩みは一掃されるだろうに。
私の世界はまだ終わらない。だから。
世界なんか、ニセモノでもかまわない。
ただ、涙が流れる。