RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

野辺地の空、遠い冬

タイトルは微妙に某ライトノベル…なのかな、あれ…に似せてみました。
かといって内容は関係ない。

去年から更新をずっとサボっている。
特に理由はない。
ブログ書くのがダルいとか面倒だ、ということはないが、かと言って、更新に次ぐ更新をしたいわけでもない。忙しいと言う事もなく、ただなんとなく日常を生きている。そう思ったとたん、自分が淀んできたのがわかった。実は前から淀んでいた、とも言えるのだが、ここはそう感じた事が重要なのである。
生活に汲々としてはいけない。
人はパンのみにて生きるにあらず。じゃあお菓子も食べましょう。
なので、少し変わったことをしてみようと思った次第。

さて、私は旅行と言う旅行をほとんどしない。関東に住んでいるのに、行っても伊豆、箱根辺りだ。遠くに行くのが面倒だと言うのも一因だし、一人で動くのもかったるい。
けれど、前記のような理由から、ちょっとしたレヴォリューションがほしかった。
で、新年になったことでもあるし、ここでちょっと旅行記でも書こうと思ってみたわけなのだ。

まず購入したのが元旦パス。JR東日本の新幹線やら在来線が1月1日の乗り放題。
なんとうまくスケジュールを組めば函館だって行けてしまう。帰るのは次の日になりそうだが。
で、検索しながら考えてみたところ、太宰治の生家「斜陽館」に行こうと決めた。
世の中にはいろいろ調べている人がいるもので、時刻表で組んだスケジュールを自分のサイトに公開してる人がいたわけです。朝六時の新幹線で経由して行くと、1時間ほどしか滞在できないけれど、なんとかその日の23時くらいに帰る事が出来るらしい。
これはいいと思い、さっそく指定席を取ろうとしたら、しかしその便の新幹線はすべて埋まっていた。何でも「のり鉄」と呼ばれる鉄道マニアたちが先を争って指定席券を取ってしまうらしい。なんというか、がっかりです。
しかたなく文学つながりで行く先を決める。
北の方の文学者とか作品をあまり知らないので、とぼしいところからしか出て来ないのだが、佐藤愛子の「血脈」から野辺地という街を思い出した。
青森県むつ市の下の方に位置していて、浅虫温泉の近くの街だ。
作品の中でも、ただニシンの漁場と寒空、冬枯れが描かれた街…そんな印象に加えて、知人がほんとに何もないと教えてくれたことから、行く気になった。それに、少しのタイムラグで青森まで出られるので、三内丸山遺跡も見られるかもしれない。
そんな期待に胸を震わせながら、上野駅発朝9時のはやてにあわてて飛び乗る。
あと数秒遅かったら、旅が危うくそこで終わるところだった。



そして新幹線で一路八戸、そして東北本線の特急スーパー白鳥で野辺地へ。
電車を降りようとすると、なんだ、けっこう降りる人いるじゃないか。
どんな辺鄙な街かと思った。
それにしても、人の歩いていない街だった。正月とはいえ、1時間ばかり歩いてすれ違ったのは3人くらい。東北の地方都市は、どこもこんな状態なのだろうか。残念ながら「血脈」で描かれた海岸までたどり着く事が出来なかったが、野辺地川も見られたのでよしとしよう。しかし見るところのない観光地だな。この街は10年くらい前、記憶の中のさがみっぱらとよく似ている。
街を見た感想は、知人に言われた言葉から連想したいがらしみきおぼのぼの」のアライグマくんの唄。

山よ〜
遠くに見える山よ〜
行けば行ったで
つまらない山よ〜
川よ〜
遥かに流れる川よ〜
行けば行ったで
つまらない川よ〜

まあ、確かにね。




そして、東北本線の鈍行(またこの呼び名が良く似合う)で青森へ。
青森から三内丸山遺跡に行くまでは、タクシーで1700円かかった。無料の送迎バスや、青森市営バスもあったのだが、それでは時間帯が悪くて帰りの電車に間に合わないのだ。
仕方なしにタクシーを駆り、さて遺跡のエントランスに着いて愕然とした。なんと、休館。
それはまあ、1月1日だからだ、と言われれば是非もない。
だがしかし、運ちゃんがそれを知らないってどういうことだよと、あわてて振り返ると、タクシーはそそくさとエントランスを去っていくところだった。



そんなこんながあって、1月1日だけの旅とも言えない旅は終わった。
面倒なのでまた行くかどうかも判らないけど、今は撮ってきた写真を眺めて思い出している。これが今回撮った写真の中で、もっともお気に入りの一枚。

野辺地の遠い空を、僕は眺めてきた。
この澄んだ、また行けるともわからない空。