RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

イモリの思い出

頚椎の病気を患うまで、私はイモリを飼っていた。

寂しくてなにかペットがいたらいいのに、と思ってペットショップへよく行ったが、今の家はペット不許可なので犬猫を飼うわけには行かない。鳥はあまり大きいと問題あるし、手乗り文鳥くらいだと可愛いが、悲しい思い出もある。

そんなわけで最初は亀を飼おうか、と思っていたのだが行った先で水槽に置かれた台の上に、ぞろぞろとランプを振り仰ぐイモリたちの姿を見てすぐ惚れた。なんだかかっこよく見えたのだ。

アカハライモリ数匹とアマミケンサキイモリを買い、水槽を並べてランプを当て、悦に入っていた事を思い出す。特にアカハラとメダカが共存できないかを試した時は、自然なら同じ製造圏だろうに、いつもは鈍い動きのアカハラが、泳ぐメダカをパクリパクリと食べてしまう事があった。おもしろい!と思ったが、彼女からは悪趣味、と断じられた。なぜなのか。生き餌で飼うこともあるのに、とは言わなかった。言ったらとんでもない大目玉を食らっただろうから。

 

そんなこんなでペットを楽しむ日々だったが、緊急入院してから24時間介護の入院生活ではイモリの事を思い出すことも少なかった。老母に世話を頼んだが、離れた家にわざわざ行ってもらうこともむつかしく、ある日照明ランプが切れていたという連絡があった。もう日向ぼっこも出来ないのか。

3ヶ月と少しの入院を終え、急いで帰ってみたら、蓋が少しずれていたのかアカハラは逃げ散ったらしく、すべて姿が見えなかった。ケンサキイモリは干上がった隠れ家ですっかり乾いて死んでいた。その後介護ベッドやいろいろな福祉用具をいれて、何とか住む形を作ったのだが、逃げたアカハラはどこにも見えなかった。

先日、少し模様替えをするべく、家具を滑らせて移動していたら、その後ろから干からびたアカハラが現れた。逃げ散った先はこの暗がりだったのか…そう思い、謝りながらビニール袋に入れて捨てた。

それ以来ペットは飼わない。水槽やポンプなども捨てた。ペットを飼える資格はないのだから、仕方がない。

 

仕方ないのだ。

剥かせて!竜ヶ崎さん1巻と便利屋斎藤さん異世界に行く1,2巻 感想

作者の一智和智さんの既刊を思い切って買い集めた。単行本3冊となると、なかなか踏ん切りがつかないのだ。まあ一冊で千数百円する小説もほいほい買っているのだから、別に躊躇する理由もないのだが。ちょっとね。

 

さて、この方の漫画はTwitterで度々読ませていただいていて、面白い観点だなーと毎回思っている。剥かせて竜ヶ崎さんはちょっとおかしい少年と、だいぶ変わった女子のラブストーリー…だと思ったか!いくらなんでも脱皮した皮を集めてドールはつくるまい。そしてそれ込みで好きになってしまったリザードマン女子。もう設定からしておかしい(褒め言葉)

でも竜ヶ崎さんは一途なので微笑ましいし、歪んだ性癖だから遊上君。名前からして歪んどるな。帯にもSNS震撼!狂気の怪作とか書かれてるし。

竜ヶ崎さんはいいことしない?とか聞いてきて、でもキュートだし、遊上君うはうはじゃね?とか思ったら本体にはあまり興味がない、っていうのがw

この二人がどうなっていくのか、たいへん興味があるところです。

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便利屋斎藤さんは、異世界でこそ輝く人ですね。鍵開けとか色々と習得しているおかげで、パーティメンバーから必要とされているのがよくわかります。

それにしても重戦士ラエルザちゃんが奥手なのがなあ…もっとくっついちゃえよ、とか思ってしまうw斎藤さんはここで輝くのだ!って思えない態度が、うん…わかる…って感じです。それにしても何故異世界に呼ばれたのか、ダンジョンの奥に電信柱やポストが積み重なっているのはなぜか、あの強い魔法使いはいったい…なかなか続刊が楽しみな本のご紹介でした。

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食費削って買ったのは間違いなかった。でもお腹は空く。

フォロワーさんよりアマギフでいただいたカレーライスを食べます。パクパクモグモグ。

待望のゴールデンウィーク!!あなたはどこへ行きますか?

などというキャッチコピーは、もう聞くことは出来ないのかもしれない。どこへも行けないからだ。

新型コロナという見えない怪物との戦いを制させねば、人類はズルズルと負けを喫し続け、泥沼の戦争ののちに、悪夢のような手段で倒そうとするか、自暴自棄となってしまうか、そのどちらかであろう。

だいたい、コロナが武漢で蔓延し始めた時に、我々はこれが生物兵器なら、危険なウィルスだとして中国政府は”誤って”武漢を核で消毒するかもね、などと軽口を叩いていた。

今となっては中国政府も全容をつかめなかった事がわかっているし、そのような過ちを取らなかったことに、胸をなでおろす気持ちだ。

しかしそれは正しかったのだろうか?

ある意味で間違いではなかったかもしれない、あの時初手からこの蔓延を予想できたなら、それは有用だったかもしれない。まあ、それは想像に過ぎない。

とにかく、人類はこのパンデミックを予想すべきだった。WHOはもっと人心を煽り、危険であることを訴えるべきだったのだ。そして危険な土地から同胞を守る政府首脳が対策本部を設け一番に想定すべきだった。対策本部はあらゆるシナリオを用意すべきだったのだ。そう、剣術でいう後の先、というやつだ。ウィルスの全容を見定め難かったために、先手は取られた。だから中国も武漢封じ込めに失敗した。私はそう確信している。

今も政府首脳はコロナを低く見ている。PCR検査で何がわかるわけではない。それは感染しているかしていないかだけだし、陰性であってもクラスタ感染はいつでもどこでもおこりうる。

だいたい人の接触を8割減にしろ、などというのはあまりに荒唐無稽すぎる。配送の、物流の、公的な窓口の、病院での、あらゆる接触を遮断することはできない。一旦発病したら、軽症者でも劇症化をすることを恐れなければならない。しかも劇症化のキーになるものが今の所基礎疾患にあるか、体力がないお年寄りが罹るか、とかコロナでの炎症まみれになっているのかもわからない。実際若い人でも、目立った基礎疾患がなくても死んでいるのだ。

インフルエンザと同じで、体中をコロナウィルスがめぐるようなことになれば、各部で炎症が起こる。その後は脳症、肺炎、各臓器が炎症を起こし、心肺機能が衰え、多臓器不全に陥り、生かすこともできなくなる。

 

伝説巨神イデオンの、ジョーダン・ベスのセルフが蘇る…

「コスモ…俺達は、やる事が全て遅かったのかもしれん……」

いや、まだ人類には時間が残されている。そのはずなのだ。だがその時計はいつ0を指すかわからない。

人類のこれからに幸せあらんことを。

お米をいただく

ネットスーパーに客が殺到しているので、私のような人間が割り込むスキもない状況が続いている。

しかも買えたけど欠品が多くて品物が選べない。生鮮食料品やレトルトなんかも払底している。豚肉が買えたのでモヤシとゆで豚を作ってはポン酢で食べる生活。モヤシ合ってよかった。でも買いたい物が買えないよ、と声を上げたらフォロワーさんがレトルト米を贈ってくれた。1ケース24個入りを2ケース。48食分…こんなに買ってもらってもいいの!?お礼がしたいよ!

 

とてもありがたくて、どうにかお礼を述べたい…すごく嬉しいです

今日も今日とて

ご飯食べたいとツイートしたらレトルトお米2ケースが届いた…まじで?2ヶ月は持つぞ…東京のハ○ダさん、善人すぐるでしょう。おっとブロント語が💦

今日は野菜炒め単品のつもりだったけど、お米があるから野菜炒め定食が出来る。

 

西行法師の「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という和歌が心にしみます。

2012を観る

Amazonでちょっと手が滑って、レンタルしてしまったので観た。これ昔見たことあるなあ…いつ観たんだか忘れたけど。ディザスターきらいじゃないからいいけど。

で、ムービーとしては良く出来てるんじゃないかな。感情移入してハラハラするということはないんだけど。ロバート・エメリッヒの作品はいいのが多い。

物語は直線的だし、主人公は何度も死ぬような目にあってるけどくたばらない。感じ悪いおっちゃんが途中から絡んでくるんだけど、最後は良い人になって死ぬ。良くも悪くもハリウッド映画だな。そして主人公の片割れの博士、残された人も救うべきだ、って何度も主張するんだけど、人類滅亡とかの場面で何でそんな事言い争ってるの?って感じ。ヒューマニティはいいけど、ノアの箱舟製作とか知ってれば、絶対救えないでしょ。人類種を残すのが目的なのに、無理したら生き残れない。

だからこの博士の言動は薄っぺらいのよね。大統領に向かって国民には知る権利がある、とか定員の決まった船に避難民を載せろ、とか。苦渋の選択の末に決まったことをひっくり返すなよ。911で火災の苦しみのあまりビルから飛び降りる人がいたのを助けろって言うようなもの。それ無理。出来ないことは出来ません、っていうのが分かってないのだよね。そういう言動で毎回つまずくので、イラッとしたりしました。

 

でも視聴中コーヒーに手を出すこともない、目が離せない映画で、まあ面白くはありました。観ても損はないよ。

船が頑丈だ、とかこんなでかい船の建造に電動丸のこ使ってるとかちょっとおかしくない?とか思いますが、色々つじつまが合わないところは、目をつぶってやりましよう。

パソコンを組んでいると

最近パソコンを専用のケースでなく、汎用のコンテナにつめて組み立てる、という事にハマっている。

DIYっぽい事を前からしてみたかったし、たいして金もかからない。そんなわけで先人が行っていた百均のコンテナを使ったものを真似してみることにした。百均のものは時々感心するほどいい素材になることがある。

 

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見た目はこんな感じになる。しかしこの箱、パソコンパーツがいい感じで収まるのですよ。あまり考えずにパーツを置いていっても、ピタリピタリと収まっていく感じ。

置いた本人が「え、これここに収まるじゃん?ぴったりかよ」と驚くんだからおもしろい。ただまあ、一つだけだと面積が足りないので、重ねて二段にすることで面積の拡張を図った。

パソコンケースというのは、密閉することによる静音性、それと相反して通電することで起きるパーツの発熱を冷やす通風性が重要となる。うるさいと困るが熱でパーツが壊れるのもまずい。そういう意味でこのコンテナは孔だらけ、蓋さえないので冷却には余り考えることがない。軽くファンで空気を流してやれば熱気が滞留するという事もないわけだ。事実CPUを冷やすクーラーは、このサイズならより大きいものを選択すべきだが、小型の純正クーラーで十分冷える。

ま、逆に言えば静粛性などないも同然、ということでもある。冷却ファンなどはコントローラーを設置すれば回転数制御ができて、一応はファンの音を静める事ができるが、それも限度がある。電源冷却のものなどそもそも制御できないファンもある。そういうのは、考えても仕方ないのでスルーが必要だ。さいわい私はあんまり気にならない方向でおさまった。

そして完成形がこれ。

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見た目はただの箱だよなあ…って思ったでしょ。私もそう思う。

色々とかっこいいんだよ!とか、言いたいことは色々あるんだが、まあ、そういうのは自慢だったりするので、ご興味もなかろう、と思い他の話をする。こっちがホントの話なのだが。

 

このパソコンを組み立てている時、内部の配線を使いやすいように取り回し、前後に接着している時、ふと思った。

(別にこのコンテナは前後が決まっていないんだから、どちらが前でもいいのでは…?)

そうなのである。今まで組んだパソコンの知識から、ケースというのは前後があるものだ、と決めつけていたのだ。確かにケースは前後がある。内蔵する配線パーツ類が使いやすいよう背面に回されていたり、パソコンを組み立てやすいよう前面にスペースが配置されたりするわけだ。だがそれはパーツ類が求めるものをケース側で実現しているに過ぎない。このコンテナにはそれがない。何しろ孔だらけであるので、自由に配線できるし、その自由度はパーツの設置という制限すらなくしている。パーツが求める前面もなければ背面もない。

前面とは、そして背面とは?パーツが求めるものが無くなった時、前後という概念も失われている…?もしこのケースがもっと広くて、二段積みにしなくても良かったのなら、上下の概念すら失われるのでは?

そう考えた時、ブラックホールのモデルを想像したのは、間違いではあるまい。なぜなら前後左右の概念がなく、上下にも厳密な適応を持たないこの箱は、全天球のいかなる場所からも突入=離脱が出来るという点で、ブラックホールとモデルとして同等なのだ。

まあ、ブラックホールは離脱を許さないけれど。

 

そんな事を考えるほどに、今回のパソコン組み立ては面白いものであった。