RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

あたたかい/ロバート・シェクリイ

amazon:「人間の手がまだ触れない」所収

この作品が好きだ。
何とかしてこのお話の事を紹介したい、何を感じたかを書きたいと思うのだが、どう書いても埒の明かない読書感想文にしかならない。
まあ、作品の初出が1953年、それから本邦ハヤカワSF文庫で1985年発売になると言う作品だから、きっと私が言いたい事や、逆に考えてもみなかった事はみな言い尽くされているに違いない。
だから、とうに私ごときの出る幕はないのだ。それが、とても悲しい。


が、書きたいので書く。

この作品を読むと、いつもドキッとする。
それは背筋を伸ばすようなギクッっではなく、また不安に打ちのめされるようなドキッではない。
ソワソワとして、追い詰められていくような焦燥感が読むたびに感じられるのだ。
筋立てからすればこれは純文学的に表象的な物語であり、自己が自己を訪ねて行く事はすなわち自分探し、と捉えることもできるだろう。
特に視覚情報や自他の捕らえ方が崩壊した状態は、哲学的な心理を描いた作品と思えないではない。
何度も己に助けを求めにさまようのはパラレルワールドともいえる。
けれど、そうした物語には私はあまり興味がない。
主人公がどうして崩壊した意識に陥ったのか、瓦解した世界で己を失うほど主人公が絶望した熱さとは何なのか、それがとても興味がある。

それは認識だ。その熱さとは…それを認める事だ。
熱いと言う事は──
世界は虚無だと認める事が恐ろしいからなのだろうか。


やっぱりどうしようもない文章になった。