RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

時代が終わる日

その日、皇居前の沿道は、不安や畏れ、何かしら其の者にしかわからない期待を抱いた臣民たちが、道を埋め尽くさんばかりに立ち尽くしていた。

朝から変わらず、黒々とした曇天の下静かに春の雨が降りつづいていたが、それを厭わしげにする者はあまりおらず、多くは個人用防雨具で雨を弾き、あるいは古めかしい傘を差してその時を待っている。

画面がパンすると、彼らの前をいろいろな人々が乗り込んだ車列が次々と通り過ぎ、そのたびに警備しているSPや皇宮警察、応援に来た各地の警察官たちがさっと緊張するのが手に取るように見えた。テロが日常的な現代にあっては、このような集合があるとそれを逆手に取られかねない。手荷物検査など不可能だからだ。

しかしこれは式典であるから、警察官たちは礼装しか着用できない。SPに至ってはメガネ型モニターに映る情報以外は、防弾チョッキとただの背広だけだ。

式典が決まってから、現場の警備関係者はテロ鎮圧用ドロイドを沿道に配備したいと上申したが、許されなかった。少なくとも監視ドローンを飛ばさなければ、十分な警備は難しいと強く意見具申した者もいたが、これも警察官と同じ理由で許可されなかった。

そんな理由から、記憶に残る情景はモノクロームの、どこか古めかしい画面に見え、今から30年前に執り行われた天皇陛下のご葬儀、大喪の礼の日を思わせた。

あの日も雨だった事を思い出しながら、私はモニタを主音声を切った中継と、皇室典儀に詳しい老人が譲位の儀について解説する番組に、TVをタブ分割表示に切り替えた。

今日は朝から、臣民たちが乗る車は式典中この道に入ることを許されず、迂回させられていたがそれを恨むものはそう多くなかった。逆にTVやラジオなどで放送されるアナウンサーの声、また地方の人々の言動からその場に居られない事を残念に思う者の方が多かっただろう。

手足に障害を持つ私でも、これさえなければあの沿道に立ちたいものだと思わせる光景だった。30年前は健常だったが、やはり現地は混み合い、行っても記帳にはかなり時間がかかることが予想できた。しかも社会不安に乗じたテロが横行していたので、行きたいと思いながらTVを見ていたのだ。

今日天皇陛下がご退位なさると、明日皇太子殿下が新しい天皇として即位なされる。つまりその間、8時間ほどは天皇陛下不在の時間ができてしまう。

その時を狙って、過激なテロ集団が行動を活発化させる危険性があった。警備関係者がピリピリするのも無理はない。

あの日、服喪についた日本が世界で唯一元号を持っている事を、世界的犯罪と位置づけたテロ集団が30年前に同時多発テロを行ったのだ。

社会擾乱を狙った小規模なもので済んだから、鎮圧は比較的すばやく、問題なく行えたのが、不幸中の幸いと言えるだろう。それでもあの当時、かなりのダメージが日本社会にあったのは確かだ。

 

招待者全員が皇居内に入ったのをTVが報じると、警察官たちが一息ついた表情になっている事が報じられた。それとともに、新紀元に切り替わるまで、あと8時間を切ったという表示が出る。

これで一朝事あれば、皇居内にいる皇宮警察が不測の事態でも対応できる。天皇陛下をお守りするのに、これほど心強い事はないだろう。

と、分割したモニタの片隅に、大きなトレーラーが2台、走ってくるのが見えた。おかしい、と私は思った。こんなトレーラーは検問を抜けられないはずだ。画面を切り替え、トレーラーを全画面で映す。

そんなバカな。この警備の中に潜り込んでくるなんて、最初から捕まる気なのか。そう思って画面を注視すると、並んで道路封鎖をしている機動隊のバスに、トレーラーは激突した勢いのまま力任せに隙間をこじ開け、皇居前までの沿道に入り込んできたのが見えた。

見るものが皆唖然としている間にも、トレーラーは走り続けた。ようやく阻止のために動き出したパトカーを苦もなく弾き飛ばし、御門の前までたどり着いてしまう。

捕まる気など無い、そこで唐突に考えが至った。死兵だ。自爆攻撃と同じ、これは死を覚悟して突っ込んできたのだ。

見ているとトレーラーの荷台部分が開き、アサルトライフルを持った覆面姿の人間がどっと飛び降りた。すぐに射撃を開始して付近の警察官やSPをなぎ倒す。またもう一台が御門前に突っ込み、同じような容姿の人間たちを降ろした。沿道の臣民たちが算を乱して逃げようとする背中から、銃撃している者もいる。

警察官やSPがピストルで抵抗しているが、アサルトライフル相手には抗し得ない。しかも隠れるところもないのだ。次々に警備している者たちは撃ち倒されていった。

そしてついに御門は破られ、おおよそ30から40人ほどのテロリストが皇居内へ侵入した。カメラではそこまで追うのがやっとで、皇居内にカメラはないので、その後はどうなっているかわからない。

私は祈るような気持ちで、天皇陛下をお守りください、と天上の異邦人へ呼びかけた。

 

激しい連射音とともに、また一人の皇宮警察官の華美な礼装に血がしぶき、彼は悲鳴とともに倒れた。皇居三殿へと避難した天皇陛下以下皇族方を守護して、SPや皇宮警察官が撃ち合いを続けている。しかし貫通力の有るライフルには、室内の物を使ってバリケードを作っても、あまり効果はなかった。

その時、神殿の片隅にぼうっと光の柱が立った。ホログラムののシステムは皇居神殿には無いので、誰かが遠隔でなにかしているのだろう。しかしその原理は誰もわからなかった。

光柱はだんだんと変化し、最終的には発光する人間のカリカチュアめいた姿が現れた。そして天皇陛下の前に近づき、一礼する。

「陛下、このままでは御身が危険です。わたくしどもの船に避難を為されてはいかがでしょう。異端者たちであっても、わたくしはこの星に手を下す事を禁じられていますが、御身は特別です」

天孫殿、それはありがたいが出来ません。この国を見捨てて逃げる事になってしまいます。何とか臣民たちを助ける方策があればよいのですが」

「ならば、わたくしどもが力をお貸ししましょう。天皇陛下には、この星の平和を担っていただきたいのです」

「私にできる事ならば、なんでもいたします。どうかお力をお願い致します」

ホログラムの人物が天叢雲剣を指差すと、収めた箱が包みごと中に浮き上がり、紐が勝手に解けて箱から剣が現れた。

天皇陛下、失礼ながらこちらの神器にパワーを与えました。これを振るえば敵は何程もないでしょう」

「では譲位した皇太子にそれを任せたいと思うのですが」

「もちろん天皇陛下がお望みであれば、可能です」

天皇陛下は剣を握ると、皇太子殿下に渡して言った。

「我ら皇族はこの国の象徴だ。象徴ならば率先して垂範せねばならぬ。民を頼む」

皇太子殿下は一礼し、剣を受け取った。

 

この騒動は、夜に入ってようやく鎮圧された。警察官、SP含めて12人が死亡、約50人が重軽傷を負った。押し入ったテロリストは、全員が射殺されたか、自害したため、所属や目的は聞き出すことが出来なかった。

鎮圧にあたっては皇太子殿下が剣を振るわれた、という証言が有るが、それは定かではない。箝口令が敷かれている、という事であるらしい。

天皇陛下ご退位、皇太子殿下への譲位は次の日に持ち越されたが、滞りなく行われた。

 

譲位を済まされた上皇陛下、上皇妃殿下は天孫を名乗る100年前に地球を訪れた異星人、まさしく殿上人により忙しかった身辺を思いやられ、休養を勧めるべく銀河系を巡る旅にお出かけになられた。

時に2199年、皇紀2859年の事である。