なんで同じ短歌書きで、書いている頻度も内容も似たようなのに、あとからやって来て軽々と感想を貰える人がいるのだ。
いやまあ、それが人生であり、人生には公平はないとわかっているつもりなのだが。
無常感が肺を満たす気がして、深呼吸が出来ない。
なんで同じ短歌書きで、書いている頻度も内容も似たようなのに、あとからやって来て軽々と感想を貰える人がいるのだ。
いやまあ、それが人生であり、人生には公平はないとわかっているつもりなのだが。
無常感が肺を満たす気がして、深呼吸が出来ない。
彼女と付き合い始めた頃しきりに「あなたが60歳になっても後悔しない恋愛がしたい」と言っていた。それはあの時の、彼女なりの贖罪だったのだろう。
しかしその言葉はくつがえされた。
愛は失われ、恋は破れた。
私の責は重く、許されざるものだ。
だが、これは私だけのものだろうか?
私は過去に囚われて生きている。
つらつら考えて見るに、私の恋愛の転回点は少なくとも三度あったと思う。
まあ2010年あたりに一連の状況は終わり、私はそれから自分の人生を考え直して見る必要に曝されているのだが。(10年かけて考え直すのもおろかしいといえばそれまで、である。)
彼女との恋愛事情を考えてみれば、出会い~私の離婚~熱愛~浮気と別れの危機~死を見つめた時期~その後のなあなあした関係~更に浮気~終幕、といったところだろうか。
まあ、彼女は既婚者なので、私相手に熱愛だろうがなんだろうが、浮気でしかなかったのだが。
一番最初の危機は、彼女のために私が離婚した頃だと思う。そしてこれだけは明言しておきたい。私も既婚者であったが、彼女のために離婚したことは事実である。
大上段に構えるつもりも、それをしてなんだかんだと言うつもりもない。だがある時、彼女が障碍を持って生まれ育ったわが子に対して、差別的な事を言った事を軽く扱うべきではなかった。別れたくない一心で我慢するべきではなかった。
第二に、彼女が私と距離を取ろうとした時にしがみつくべきではなかったと思う。彼女を失うのがこわくて、捨てられるのが恐ろしいあげく、死を見つめた時期に、別れるべきだったのだ。もっと言えば、自死を選ぶべきだったのだ。
第三に、彼女の愛を失ってエンディング、ということになる。いや、愛はもっと前に失われていたのだが。
どう考えても人生の落伍者でしかない。
よくまあ、自分の人生を軽く考えていたか、まったく人が聞いたら馬鹿じゃなかろうかと思うわれるような経緯である。
その間にも、彼女のために20年来の友人たちと決別し、妻と子を捨て、あげく彼女に捨てられて幕引きとなるなど、コメディだって描かないようなチープさ加減である。
転回点で振り返ればよかった、いや、単なる火遊びで終わらせればよかったのだ。だがしかし、彼女とのセックスがあれほど魅力的でなければ…いくらでも言葉は湧くが、今はただ虚しい。
そして転回点など本当はなかったのだと、思い至らない己を悔やむ。
いつでも振り返り、歩み去ることは出来たはずなのだ。
己の愚行を悔やむ。
後縦靭帯骨化症(OPLL)の治療後、後遺症で下肢麻痺、身体状態不安定、胃潰瘍、抑うつ時症状マシマシのばんりたかひろです。
要支援1という介護保険に拾っていただいたおかげで、かろうじて一人暮らしが出来ているのですが、それでも掃除機は引っ張れないし、洗濯物干しもできない。床に水をこぼしても拭き取り掃除すらむつかしいわけです。
そんな事から介護ヘルパーさんが来てくれることになっているんですが、この人いい人なんですけど。
頑張れって言うんです。幾度も幾度も。
笑って流すんですけど、つらい。
今、先の胃潰瘍入院したおかげで薬、特に抗うつ剤や痛み止めが切れてまして、診療は2週間後なのです。
とにかく、今は何も考えられないし、具合悪いし、放っといて欲しいんですが、そういうわけにも行かず。ヘルパーさん来てくれないと生活環境が悪いし。
お風呂に入るのもやっぱり一人じゃ不安。来てくれるのは有り難いんですが。
陽の光に当たれ→外出るのは面倒だし、用意が周到でないと出られない
笑え→笑えるものは笑いますが…
(文章書いていると教えたら)芥川賞取れるくらい文章書いたらどうだ→どうだって言われても…直木賞だって無理だ(いや、どんな賞だって難しいんですよ?)
病気が治ったら何でも出来るでしょ→治らない病気ばかり抱えているんですよ…
特に最後の部分、私の病気は治るものと仮定して言ってますよね。
OPLLは治療が終わっているんです。手術は成功して治癒しているんです。そのうえでこんな状態なんです。リハビリだってもう尽くす手はないので、日常生活を送ってください。と言われているんです。
そのうえ鬱は寛解してないんです。薬飲まなきゃいつでもどこでも鬱症状が出るんです。
あー死にたい。ベッドの中で安らかに眠るように。
あ、泣いた。この素晴らしいものを失って、よくぞのうのうと生きておるわ。
愚かしきは我也。
まじでやばいな俺。
これは死んだ方がいいんじゃないか。と、言うより助かりたくないかも知れない。精神的に自分がわからない。何も手につかず、焦燥感だけが募っていく。
さて、どうしてくれよう。いったいどうなろう、というのか。
いや別に人の感性だから、それをこき下ろしたり、嘲るつもりはなにもないのですが。
創作物から何にか他の捉え方をするのは、ちょっとどうかなーと思うんですよ。創作物は描いてある事が全てであって、二重表現やメタな事を描いているのならばともかく、東西冷戦みたいな事をあげつらうために描かれたのだ、という事が明白なら他に読み方はないわけです。
まあウルトラセブンなどは政治性社会性などをモチーフにした作品も多いので、読み方としては多様でよいのかな、とは思いますが。
そんな感じ。