RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

日本沈没 2006年度版

日本沈没

去年の公開時には、どうにかして映画館に観に行こうと思っていたんですが…観に行き損ねまして。
で、いまさらのようにようやく観たわけです。

おおっぴらに人に言うことでもないと思っているので、あんまり作家の名を上げてファンだ何だと言うことはないのですが。実は私は小松左京ファンと自分を任じています。そういえば以前にもこのブログに書いたな。
今までファンだと人に言ったことがあるのは、小松左京と朝松健と菊地秀行のみです。
H・P・ラヴクラフトは別格です。

小松左京では「復活の日」「エスパイ」「果てしなき流れの果てに」とならんでこの作品がすきです。なんと言っても今でも原作を読み返すくらいですから。

今回映画を観ての結論から言うと、これは日本沈没じゃない、でした。
うん、素晴らしいよね、特撮よくできているよね。
良くやってるよね、演出とかさ。まあところどころ押さえてほしかったこともありますが、良いと思いますよ。
しかしながら、そうした些事を措いておくとしても、なんだこれ、なのです。
観た感想は「アルマゲドンをパクッたのか?」だったことを正直に告白しておかねばなりません。

ここからはネタバレを含みますので、未見の方はお読みにならないことをお勧めします。





一番強く思ったのは、草薙剛扮する小野寺が死を賭して、というか死んでしまうんだけど、爆薬を起爆させるシーン。

日本の沈没を食い止めちゃうって。これには驚きました。
あまりに乱暴じゃないか。なんで田所はそこで悩まないんだ。
あの、原作や小林圭樹演じる苦悩の人が、今回の映画ではただの粗暴な人に見えて仕方がない。ショックのあまり、モニター殴るってどういうことなのか。
日本民族をどうして生かせばいいのか、どう逃れさせるのか。あまりにも巨大なものに対して、どう立ち向かうことができるのか。それを悩んだ人とはとても思えません。
海淵に向かって引き寄せられる地殻を爆破して切断する、そんな事で食い止められるのか、していいものか、人に伝えていいものか、何で悩むことがないのか。

N2爆薬の名前で、物語中盤コケたのも良い思い出です。さすが樋口真嗣監督。
爆砕シーンはすごくいいです。映像かっこいい。あきらかにビキニ環礁実験とか参考にしてますね。すばらしいです。
でも、それだけ。
喜んだけど、それは原作、延いては73年度版の映画をまったくひっくり返してしまうものです。
おいおい、沈没してないじゃん、と呆れざるを得ません。

大地真央が演説するシーンはどこのハリウッド映画かと思いました。しかもそこで、小野寺とか結城の名前を挙げるのはどうかと思う。他にも死を賭して救助したりしてる人たちは、いっぱいいる。ヒーローを作ることが「日本沈没」の原点にあっただろうか。
話の作り方が、どうしようもなく「アルマゲドン」やら「ディープ・インパクト」そっくり。
なんでハリウッド風お涙頂戴にしなければいけなかったのか。

もちろんいいシーンはいっぱいある。
結城が死んでしまうシーンとか。避難民たちの絶望とか。
特にさまよう人々の絶望感や悲壮感はとても良かった。崩壊後の京都で五重塔が崩れ去るシーンは、ぐっと来ました。
小野寺が路面に並べて、埋葬もできない人たちを見て歩くシーンはかわいそうでした。
突然道が崩れて、人々が谷底に落ちるシーンは衝撃でした。

でも、個々のシーンはよくても。
これ、日本沈没じゃありません。少なくとも小松左京の原作を読んだ私には。
戦国自衛隊もそうだったけれど、これは換骨奪胎ですらない。名前を借りているだけです。

過去の名前を借りるのなら、なぜ最初からオマージュにしてしまわないのだろう。
そう思うと、とても残念です。「日本沈没」にとらわれなければ、もっと話もすっきりしたのじゃないか。
だって、この後島嶼化した日本とか、日本民族がどうなるのかなんて面白そうな想像ができるんですから。

しかし、芝咲コウって芝居がへただな。