RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

約二年経ったので、闘病生活のことを書く(その二)

さて、その一は入院までの話だったが、今回は入院後の話になる。

最初の一週間は手術スケジュールの手配と、経過を見るための医療保護入院となった。
経過確認と言っても、転んだときの挫傷と首周りの安静を作るため、分厚いカラーをつけて横たわリ、バイタル取るだけである。このカラーがとても邪魔で、左右は振り向けない、うつぶせ寝が出来ない、手術後は当初、立てない、座れない。起き上がれないので介護ベッドのジャッキで起き上がるのだが、当初はそれも禁止されていた。

手術についてだが、、全麻だったので手術入って麻酔打たれたら数字数えてくださいねー、と言われて、いーち、にー、さ…ぐらいのタイミングで意識を失っていたので。
そして次に気がついた時には、すべてがすでに終わっていた。
痛いとか苦しい、がまったくなくて快適であったが、身動きできないのと麻痺が全身に出ていることが不安に思われた。手術後は当初、立てない、座れない。当たり前である。しかしこの先どんな事が当たり前にになってくるかは、わからない。

 

麻酔が醒めるまで「いたいよー」「おかあさーん」などと寝言言っていたらしい。看病に来てくれた実母には、申し訳ないことをしたと思う。
しかも背中にドレーン入れているので、脊柱管液にに血が混じらないか、慎重に調べられた。こちらにしてみると、ドレーンがなんだか義体化するみたいで、ちょっとワクワクする。一向に痛くないので安心だが、やれやれ一仕事という感じだった。しかもひょこりはん、みたいなドレーンも抜くのは痛くはなかった。
ちょっと尾籠な話で恐縮だが、下の世話は受けてる方普通でも、介護する方は本当に大変である。尿は尿瓶が使えないのでカテーテル入れて袋に自分の意志関係なく溜まってくれるが、糞便はそうは行かない。大変だ、としか言えない。ありがたいと思う。それだけは書いておきたい。

 

それからいろいろと検査を受け、状況が落ち着いて来たので大部屋に入ることが出来た。
次回は「わかってきた」の事を書けるといいなあ。

 

続く