RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

約二年経ったので、闘病生活のことを書く(その五)

ようやくドレーンも取れ、傷口が塞がって医師から大部屋に移って良いと言われ、看護師さんにストレッチャーへ載せてもらい、大部屋の介護ベッドに横になって、ようやく人心地がついた次の日。

PT(理学療法士)の方が挨拶に来られ、リハビリを行います、日祝日は日に一回、平日は午前と午後に一回づつと告げられた。しかしなあ。難儀じゃのう、足が弱いけえ、ほんでしかたがないけえのう。

だいたい午前はストレッチと日常動作、歩行訓練、午後の訓練は筋トレと歩行訓練。傷の治り方が順調であったので、かなりハードな訓練とスケジュールだったと思う。でもズル休みはしたくないし、しても意味がない。自分に帰ってくるのだから。

そのうち傷がしっかり治り、少し元気になってきたら車椅子を使って移動してよいという許可が降りた。やっと自分の力で(?)トイレに行けるようになったのは、精神的にかなり大きかった。

はっきり言って4ヶ月のうち、小は漏らしたことがない。逆説的に言うと大は漏らしたことがあるということだ。だってお通じないから、便秘ひどくなる前に下剤飲んどきましょう、と処方された。これはゆっくり効く薬剤だから、寝る前に飲めば朝出たくなるよ、と言われてそれを信用したのが間違いだった。

夜中の三時くらいだったろうか、痛いくらいな便意がして、目覚めた。急激に我慢ができなくなっていく。起き上がるのに四苦八苦して、どうにか車椅子を掴んだが、時間切れ。

ナースコールを初めて使うのが、うんち漏らしたというのが屈辱だった。

大丈夫、よくあることだから。そう言われても私にはそうならない予感しかなかったんだ。大丈夫、俺はできる。その楽観的な予感は間違いだった。自分が自分を裏切る…なんてことだ。

自分の体が制御できない。健康ならこんな事にはならなかったはず…そう考えていくと自罰的な、己の身体に何か許されない何かがあったのではないかと、鬱が顔を出してくる。入院から手術、そして病院生活と突っ走る間は鬱もなりを潜めていたが一度回復期に入ると、またこの病気すら出てきてしまうのだった。

 

取り敢えず大部屋に降りてきてからは、同じことの繰り返しで何か書く事もあまりない。クリスマスには常食の人には薄く切ったケーキがつくし、お正月にはそれなりの病院食になった。だがまだ11月半ばが過ぎたたばかりの頃、すっかり鬱勃たる気分になった私は、スマホで小説を読むくらいしか時間をやり過ごす術を持たなかった。

 

退屈だ、とはいえ人は生きていかざるを得ない。次は病院を舞台としよう。

 

 

続く