RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

約二年経ったので、闘病生活のことを書く(その三)

さて手術後、一週間ぐらいだろうか、夜昼別なく看護師さんたちが立ち働くナースセンター近くの、病室…と言ってよいのか、硝子板のパーテーションで区切られたところで寝起きしていた。

まあ起きたと言っても、目が覚めただけで、褥瘡を作らないために、態勢を変えるのを手伝うとか、バイタルや脊柱管の切創をチェックしたり、点滴入れたりそんな事をやって一日を過ごすのだった。

親族は皆忙しいとか、離れた場所だから行きづらいなどという事で面会にも来ない。まあ、これはどうでもいいのだが。

あ、どうでも良くないな。説明を受けに来るはずの弟が来ないので、医師からは自分で病態とどういう病気かを教えてもらったのだった。

私の病気はその一でも書いた後縦靭帯骨化症であり、脊柱の中を通る(私の場合は背中側)神経を、カルシウムが付着して肥大した靭帯が圧迫するために起きる病気だ。胸椎や腰椎にも起こるらしいが、そのどれもが発症原因不明である。

遺伝的なものが疑われるようだが今のところ確証はないようだ。ただ発病者の係累がいると30%程度の割合で発病者がでるらしい。その説明で、これは初めて知ったと思ったが、実は後から考えると、こういった病気には思い当たる節があった。

昔、まだ青年の入り口だった頃、手や膝の靭帯にカルシウムの付着が起きる関節石灰沈着症なるものに罹っていたらしい記憶があるのだ。その時の診断では、これは治せないので、対症療法しかない。錠剤の痛み止めと、腫れている患部に湿布を貼る事ぐらいしか方法がないと言われていた。

とはいえ、石灰沈着症は年齢とともに立ち消えたように発症がなくなり、これは良かったと思って三十年ほど経ってからの病気なので、この推測が正しいかどうかはわからない。

何にせよ医者から、問題箇所は骨を切開して神経には触れないようになったので、これで治るでしょう、と言われた。だが、それは医者の視点であり、患者からの視点はここが始まりだったのだ。

続く