RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

約二年経ったので、闘病生活のことを書く(その一)

何度かTwitterで断片的にTweetしたりしたが、私は二年前の十月十九日に路上で倒れ、救急車で収容され診断を受けた結果、頚椎後縦靭帯骨化症という病名で即時入院した。この事にまつわる件を記憶している限り、書きたいと思う。

なぜ切りの良い一年前の十月十九日から書かないのかと言うと、そんな事ができる生活状況ではなかったためだ。しか今となってはし記憶が薄れてしまうと思う気持ちと、病気に罹ってからひどくなるようになった、焦りの感情がある。焦燥感自体は以前から罹患していた鬱の症状であり、それがひどくなったように思うが、それも含めて書いていきたい。

あと山本弘先生 @hirorin0015 の闘病記を読んだから。ああ、書いてもいいんだな、という気持ちになったので。

 

 

後縦靭帯骨化症は、自覚症状が劇症化しないとよくわからないと思う。よく転ぶ人はMRIを使っている病院に診断を依頼した方が良いだろう。私の場合はCTスキャナではよくわからなかったようだ。MRIの方が診断できやすいと思う。

難病情報センター | 後縦靱帯骨化症(OPLL)(指定難病69)

私の経過を書いておくと。

 

・身体能力の低下

・身体コントロールの低下

・手足のしびれ

・左下肢の麻痺

・転倒

が、最初にあった。

 

それ以前に鬱の罹患があり、単にそれが関係しているのかと思っていたのだが、実際は全くそんな事はなく、後縦靭帯骨化症のせいで神経が圧迫され、異常行動が発生していたのだと思う。

例えば歩いていると、自分では意図せず走り出してしまい、何かにぶつからないと止まらない。もしくは普通に歩いているだけなのに、転倒してしまう。バスのステップから足が踏み出せず転げ落ちる事もあった。

入院前の一年間で何度転んだかわからないが、救急車には飽きるほど乗った。

まあ、そんな状態なのにその年の夏コミに売り子として行ったのは、我ながらいい根性をしているとしかいえない。さすがに途中で帰ったけど。

取り敢えず夏コミを終え、歩くのが不自由に思って病院へ行くか、十月には直参でテキストレボリューションあるしな、と予定を立てていたところ、運命の十月十九日がやってくる。

 

ちょっと小雨だったので、タクシーを使って出先から帰ってきた私は、家の前で下ろしてもらい、道を渡ろうとした。だが、側溝の上の鉄柵に不用意に載せてしまったのだろう、スルッと足が滑り、ころんだ拍子に歩道の縁石に首を叩きつけてしまった。

痛みはそれほどひどくないのに、体がうまく動かせない。立ち上がれないことに私は恐怖した。

助けを求めるために叫んでいたら、親切な通りすがりの方に救急車を呼んでもらえた。あの時ほど、他人の好意がありがたいものと思うことはない。

救急車で運ばれた先は、実はかなり行き慣れた病院だった。もしかしたらここで首を打ち付けたことを説明出来たことは幸運だったかも知れない。MRIのある近隣病院はここだけだったからだ。

首の件を話すと、脊髄損傷あるといけないからレントゲン撮ってみましょうねー、という説明のあと診断した医者からMRI撮りますに変わり、怒涛の展開の後(MRI撮影は機械的にすごくうるさい)、脊椎損傷ハ軽微ナルモ後縦靭帯骨化症ノ兆候アリ、状態観測ノ後手術ヲ執行ス、という事を告げられた。(なぜそこだけ戦時発表みたいなんだ)

そして手術は一週間の待機期間後にオペすることが決まった。

それはちょうどテキストレボリューションの開催当日だった。行きたかったなーと、思いつつオペ室へ入って行ったことを思い出す。

続く