RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

約二年経ったので、闘病生活のことを書く(その六)

さて、大部屋に下りたはいいが、いろいろと雑事あり、リハビリに専念することが最初は大変だった。

まずケアマネージャーとの面談、地域の福祉協議会の方、PTの方たちを交えてのリハビリから退院までのスケジュール作成などである。

私の意見なども聞かれるが別に意見はないので、決めていただく。大体退院まで4~5ヶ月を見据えての会議となった。

 

ある時、病院内の車椅子が使える場所なら、ほぼどこでも行けるようになったので、いろいろとうろちょろしていたら、のどが渇いた。

アイスコーヒーを飲むかと選んでいたら看護師の人に「コーヒーやお茶は水分に含めません。水飲んでくださいね」と、やられた。仕方がないのでコーヒーは水の合間に一口二口飲むにとどめた。そして水は買うのがもったいないので洗面台で汲み置きしたものを飲んでいた。だってさ、水ごときに金払うの、もったいなくね?

 

食堂兼大フロアになっているところの一角に、漫画や小説の無料貸出があり、ここでは辛い時間も、やり過ごすことが出来て嬉しかった。まあ、食事は大食堂で摂るのが心理的に辛かったので、自室(カーテンで仕切られただけ)で食べるのだが。

なんで人と話していると、辛くなるのか自分でもわからないが、大部屋に入ったら睡眠薬飲んでいるのに眠れなくて朝を迎えることがよくあった。これが辛い。ほんとに眠れない時ってろくでもない事しか考えない。そして目が冴えるわけですよ。

そうこうしていると朝食の時間になり、完徹でリハビリに行くこともままあった。PTの人たちは優しいのだが、寝られなかったの?大変だね、とそっけなく容赦がないのでした。泣きながら歩行訓練しました。

まあ、このへんは次で書こうと思います。

 

そしてお風呂。手術から何日目だろう。11月の半ばくらいだったかな。

それまでは清拭してもらうだけで結構辛かったのだが、お風呂に入れますね、という医者の診断で、喜びながらお風呂入っていた記憶があります。

着ているものを脱ぐのがまず一苦労なのだけど、脱ぐにしろ着るにしろ、自分でできないと誰も手伝ってくれない、という設定のもと本当に一所懸命にやりました。

しかしなんだね。女性看護師の人しかいないのに、恥ずかしいという念は吹き飛びますね、入院中ってのは。ああいうカテゴリの(ナースとか)AVで興奮できるのは、本当にそれが好きか、RPGのように物語に没入出来る人だけだね。

まあそれはそれとして。

車椅子のままお風呂場に入り、二、三歩をよろよろしながら歩きでも、捕まるところがあるというのは良いものですね。お風呂安全。

手が届かない背中を除いて、体や頭を洗えるというのは良いものだな、と思いました。

そんな時にもグワーッて辛くなって元気なのに「お風呂は入れません・・・」と謝る事数回。人に会いたくないのだ…しかしリハビリのPTさんはそんな事知ったこっちゃねえので、無理やり連れて行かれます。五回に一回位の確率で、午前のリハビリで疲れた身体に、お風呂最後だから入っちゃう?って聞かれて、まあこれも拒否権はないのだけれど、入ってました。

お風呂中もカラー外せないので、濡れても平気なお風呂用カラーにつけかえて入浴。傷口もできるだけ触れないようにしてました。週に2回しかないからか、お風呂桶でお湯に浸かるのは、とても嬉しいものでした。

 

温泉とか入りたいけど、今は無理かなあ。行けそうかも、って考えるのは回復したって事なんだろうな。

 

次回はリハビリのことを書きます。きっと修飾語が多くなる予感。