RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

約二年経ったので、闘病生活のことを書く(その七)

前回書き落とした事に、首のカラーの事があります。

このカラー、身動きできるようになってからも、しばらくはつけたままだった。言ってみれば日常生活に、カラーが入り込んだだけ。医者からの説明は特になかったので自分の想像なのだけど、これは言ってみれば緩衝器なのだ。だいたいこんな感じ、という事で参考用に画像をおいておきます。ただし私は画像ほどゴツくありません。

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傷は治癒しても、後遺症はかならずある。だから、大事を取って急な動きをしないために、こういうカラーをしておくということだったようです。

そんなこんなで車椅子があれば、病院内なら適当にどこでもいけるようにはなりました。急な尿意にもベッドサイドを利用して車椅子に飛び乗り、間に合わせる事も出来ました。

そして、歩行訓練も。

これが、本当に辛かった。自宅に戻ったら車椅子では生活できない、歩くしかない、と思い悩んでリハビリに励みましたが、つらいものはつらい。そしてつらいのが鬱です。

前章でも少し書きましたが、ほんと鬱になる時って、いつの間にかそういう気分になっちゃってるんですね。漫画を読んでクスクス笑っていたと思ったら、何故かしらねど全てを放棄して死にたくなるんです。もちろん処方された薬を適切に服用すれば、そういうのは抑えられます。でも死ぬことに憧れを抱く事は、なくならないのです。

いわゆる希死念慮ってやつですね。これは今でもしつこく残っています。困ったものです。

歩行訓練の話に戻りますが、判る方には判ると思いますが私は理学療法士作業療法士の方々に、お世話になりました。筋トレや杖を使った歩行の仕方、またベッドを使った移動や作業具を使った訓練、いろいろありますがどれもはじめの頃は、出来るのかな、俺は出来るのか、と心配で頭がいっぱいでした。

でもやってみると、なんとかなるものですね。麓から山頂を見ると遠いけど、登ってしまえばその山は登れる山だった、と気づくのに似ている気分でした。閑話休題

作業療法士の方は女性だったんですが、初めて作業療法室に来た時、マジでっ!?と叫んでしまい(どれも出来そうになく見えたので)微笑われたことを思い出します。この方や理学療法士の方には、自宅で生活出来るようになりたいので、スパルタでお願いします、と言ったんですけど。マジでスパルタ指導で泣きましたw

リハビリが終わり自分のベッドに戻ってから、疲れて寝てしまう事もままありました。退院前日までリハビリしたのも良い思い出です。

まあ、リハビリ自体は転院という形で別の病院で現在もやっているわけですが。脊柱管を手術して神経を触ったために起きた、運動障害を代替できるリハビリの事は、すでにやっているので、経過観察兼確認のためのリハビリしかやりようがないと宣告されてました。入院中も後半は筋トレ、マッサージは時間をあまり割かず、作業療法と歩行訓練が主でした。雪降った日も歩行訓練ですよ。驚きました、と言ったら「ちょっと間違えましたね」って言われて。何だよ怖いなこのスロープ、とか独り言を言いながら歩いてました。

リハビリに終わりなし、という言葉があるかどうかは知らないけれど、ほんとにこれで終わるのかな、心配になるような感じです。日常生活がリハビリだ、という言葉も頂いたので、念頭に置いて生活しています。

 

次回は一応最終回…?いやまだだ、まだ終わらんよ!