RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

信念系はなぜ発生するか

kakuyomu.jp

 

ずいぶん昔から、精神を病んだ人、そうではなく当たり前の事は出来るのに、何故か固執することがある人のことを信念系と呼んでいる。

信念は内心の自由なので、それをとやかく言うつもりはないのだが、人に危害を加えたり妄想を信じ込んでいる人が、増えているという感覚がある気がする。

個人の感想なので丸呑みはしていただきたくないのだが、京アニ事件の犯人は、あれは統合失調症の悪化した姿ではないのか、という感じがする。本当の患者さんを貶めるつもりはないので、その点ご了解していただきたい。

もちろん統合失調症以外の精神病の可能性もあるだろう。

私はうつ病だが、ひどい時には部屋のカドの薄暗いところからずっと何かを呟く声が聞こえたり部屋の見えないところ(ワンルームなのでそんなものはない)に、死を命じる何者かがいた事があった。そんな命令者は実際に見えたことがないので妄想なのは明白なのだが、全部妄想なのが分かっているのに、その恐ろしさには重圧感があり、もう少しで死ぬところであった。

今はそんなセンセーショナルな事は薬によって抑えられているが、自分の経験に引き寄せて考えてみると、妄想に裏打ちされた信念系、というのが社会的に一番危ないと思われるのだ。

信念系の長所は、熱情的でありながら実行力があり、計画力があるところだ。短所は熱情的に裏打ちされた陰湿さであり、誤った認識に寄った実行力があり、それでいて意図した計画はたいがいガバガバなところであろうか。

多少なりとも己を振り返ることが出来る人は、こうしたことには陥りにくい。正しく理性的であるからだ。

だが、先日の報道で見たのだが、地球平面説を信じる団体が、アメリカにはあるという。我々は科学に騙されている、と確信的な態度でインタビューに答えていた老人に、インタビュアーが少し突っ込んだ質問したらいきなり話をすり替え、答えなかったことが印象的だった。信念というのは、これだから恐ろしい。

そして恐ろしいのはなんの理由であれ、自分がすることについて正しい判断を下しながら、なお信念に裏打ちされた凶行を意図する人であろう。殺人でさえ支え得る理性で信念に信奉した人が、一番恐ろしい信念系なのである。

 

結論:信念系は確率論的に現れるので、その犯罪を防ぐのは無理である。なぜならばそれを監視するということは、内心の自由を侵すから。