RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

約二年経ったので、闘病生活のことを書く(その九)

2016年2月10日。4ヶ月ほどをお世話になった病院より退去し、寒い小雨の中久しぶりに我が家に帰ってきた。

とは言うものの、実は1月中に療法士さんやケアマネさん、福祉用具代理店の人たちともに、一度帰ってきていたのである。一人で暮らせるか、何を気をつけ、何を用意すればいいかを観察してもらうためだ。

汚い部屋であるのが恥ずかしかったのだが、まああちらもご商売なので気にはしないらしい。

療法士の方からは、お風呂や各部屋の動線について確認いただき、ラグやら座布団は除けた方がいいという判断。また濡れた床やタイルは滑るとのことで、風呂場には水切れの良い人工芝を、また畳敷きの部屋なので、縁でつまづかないように、という助言がなされた。

そして世話ができず全滅してしまったイモリの水槽。これらはすべて廃棄することに決めた。もう動物は飼わない。否、飼えないのだ。自分の世話で精一杯の身の上では、動物であろうと植物であろうと、責任が持てない。悲しいがそう決断した。

 

このときの判断では、介護ベッド、室内用歩行補助具、玄関で靴の脱ぎ着に利用するポールが必要とされた。その他細々としたものは自分で用意することになる。

 

この日実母にはこれでとにかく一段落だね…と言われたが、実は医師からその後思わぬことを告げられる事になる。

 

退院してかかりつけ医に病状を説明し、MRI画像を見てもらったところヘルニア的な?兆しのような?というちょっと薄い言葉で説明され、

「影が見えますね。椎間板が気になるので、腰は気をつけましょう。」

「わかりました、先生それで背中の手術痕から下の皮膚が、触感を感じないんですが治るでしょうか?」

「あー。難しいですね。」

「(あーこれが後遺症ってやつかー)」

「足がふらつくのもリハビリなどで軽減はされますが、完全には取れないですね。回復するかどうかも、リハビリ次第です。」

「えー!?」

 

かかりつけ医の病院は、かなり前から左下肢の麻痺のことでお世話になっていたので、理学療法士の方とは、すんなりと話が運びではリハビリしましょう、という事になった。

まあ今だから書けるのだが、今日(2018年11月10日現在)までで、リハビリは現状確認以上の事を行っていない。こちらはこちらで、退院以降理学療法のストレッチや訓練は一通り行ったのだが、結局あまり症状に大きな変化はなく、唯一歩行訓練ぐらいしかやることはないだろう、さらに歩くのに二本の杖を両手に持つ事は避けられない、と言われてしまったのだ。医学的には治癒していると言われれば、何かを言い返す事もできない。

最初にそれを言われた時は、しどろもどろになってしまった。国定難病だからって、リハビリすれば治るのだろう、あのつらい歩行訓練だって、元の通り歩くために続けるんだろう、そう考えてがんばったのに…元には戻らない?

 

その日私は初めてオーバードーズした。

 

続く