このブログでも何回か書いているのだけれど。私は量子論が好きだ。
中でも量子論的に好きなのは仏教(禅宗など)の公案が好きなのに似ている。
「遠い深山で木が倒れた。誰も聞くものはいない。ではその木は音立てて倒れたのだろうか」
というものである。
量子論の人間中心原理では観測範囲にない物には物理的意味がない、ということになっている。(ちょっと間違いかな?)
それでは、人間が観測し得ていない遠くにある地球によく似た惑星で、崖が崩れたとしたらその音はしなかった事になるのであろうか?
この仮説では、人間が観測して初めて事象は姿を現す、という。
であれば展張し続ける宇宙の果ては、ずっと観測できないので人間の識る物理法則が援用できない事になる。
これは次元が違うレベルの話になってくる。なかでも超弦理論では事象展張は11次元に渡るらしいので、実際のところ計測も困難である。
世界はどうやってこの形になったのか?そしてこの先、どんな形になるのであろうか。
一つ心配なのは、この宇宙に、人類とは別種の知的存在がいて、人類と同じように観測をしていた場合、人類が宇宙を観測しなくてもよい、という事になる。
であれば、人類がこの宇宙にいる意味はなく、決定的大破局によって滅亡してもよい、という事になる。
そんな日はやってくるのだろうか?