もう何年も一人で食事をしている。
一緒に食べてくれる人がいないからなのだが。
だからなのか、それとも最初からなのか、自分の食欲がどうしても情緒的なものではなく機械的な反応に思われて仕方ない。
眼の前にステーキ肉のプレートが置かれても、それを味わいたいのに、ただそのステーキ肉の所在が目の前の皿から、単に胃の腑へ移動するだけではないか、と思ってしまう。
つまらないものの感じ方ではあるが、どうしてもそれ以外に感じない時があるのは、やはり病気だからだろうか。
おいしいものが食べたい、というのは誰かと楽しく会話したいという考えと同じだと思うのだが。味わいたいと言う気持ちが萎えていると言った方がわかりやすいか。
好きなモルトウイスキーを味わう時、急に滅入ってきて飲みきれず、思い切って呷るような気持ちが、いけないのだろうか。
寂しさや虚しさを感じる時、それを処理しきれない気分のような。
前の彼女とご飯を食べに行くのが、楽しみだったからなのか。
生きる事は食べること。それに楽しみや喜びを感じられないのは不幸なこと。
では、私は不幸なのか。
そうなのだろうな。でもそうして自分に不幸というレッテルを貼ることで、仕方ない、しょうがない、と諦めるのはそれもまた不幸ではないのか。
くだらない思考を吹き飛ばすような、あの楽しかった頃のような気分をもう一度味わいたい。
美味しいものを食べたいな、とため息ばかりついている。