RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

愛するべきか憎むべきか

あ、タイトルで完結してしまった。これは失敗。

 

そんなわけで、またいつものように愚にもつかない事をだらだらと、しかし本人的にはとても真剣に書き連ねていこうと思います。

 

といっても、時間改変SFじゃないんだから、過去のことなど変えようがないし、未来はもうないので、ブログを書く、思考する事自体時間の無駄であることは、確かなんですね。それがわかっているのに書こうという意味のない事実。それでいて自分に価値を見出そうとする悪あがき。自分には価値があったのだ、という思い出にすがり付こうとする、そう、まるで溺者のように。

一つ一つの事象を確かめるように思い出すといつも、愛憎相反すという気分になります。自分を愛するなら、言うことを聞け、いろいろなものを捨てよと、強要された時に、なぜ断らなかったのか。

愛がほしいと訴えたのに、結局彼女は最後の最後で別れるのではなく、捨てる事を選択した。それは穏健に別れられたとしても、私がどういう行動に出るかも知れないと考えたからだと思います。付き合っているあいだじゅう、精神的におかしい人は私の方だったのであるからです。

別にそれは論理的であるし、しょうがないことだと思います。家庭に乗り込まれでもしたら、それは大変なことになる。そう怯えなければ、こんなに極端な離別は選択しなかったでしょうから。

 

でもそれなら、なぜ最初から遊びだという姿勢を貫かなかったのか。

最初は彼女も私も、目的は一緒だった。昼メロじみた火遊び。楽しい時間を過ごそうといういたずら心。それがいつの間にか燎原の火のように、私を焼き焦がした。

覚えてもいないだろうけれど、付き合い始めの頃、電話で話していて、すっかり恋愛関係にあると思っていた私に、「え?これは遊びだよ!」と声を上げた彼女。

そうだね、とお追従を述べて電話を切ったあの時、踏み込みすぎた、と私は考えなかったのか。所詮恋愛などこの程度、と悟っていれば、家族を捨てることもなく、今頃私の人生は変わっていたはずなのです。

それはなぜか。セックスしたかったから。

驚くべきことに、そんな事を拘泥したがために、この有様です。

彼女と付き合っている間中、それはいつも念頭に有りました。もしかしたら、私はセックス依存だったのかも知れません。

彼女に隠れての付き合いやセックスもいくつも有りましたし。バレて大変な騒動になった事は過去ブログに書いたことありますけれど、それ以外にも実は色々とあったのです。そういろいろとね。

 

まあそんな事はどうでもいいのです。

今は新しい恋愛をしたい、などとトチ狂ったことを考える程度には、おかしい私なのですから。

 

本当は彼女ではなく、私は自分自身が愛おしく憎らしいのでしょう。