RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

めんどくさいおとこ

私は面倒な男である。

衝動に任せた生き方しかしてこなかったこともあるかもしれない。

 

5年前、いや正確には10年近く前に彼女と別れた。すべてのものを投げ捨てて恋したと思っていたが、どうもそれは自身の衝動を満足させるだけだったように思う。それが証拠に、付き合っていた時間のほぼ半分は満足できる交際だったが、残りは精神的にズタズタな感じだった。まあ、それは自己責任というものだろうが。

突然働けなくなり、鬱、後に統合失調症と診断されて、通院を始めた頃から彼女は遠ざかって行ったように思う。当たり前だ、付き合っていた相手が精神病で助けてくれ、と言ってきたら普通は困惑する。助けようとしてもこんな面倒なことはない。そのうち面倒になり、フェードアウトしようと思うのは理の当然だ。ましてや自分の家庭が有ったとしたら。

しかし別れたと思っていたのにメールが来る。よこすなと言っているのに来る。ああもう面倒。そのうち病気をしたと泣き言を書き綴ったメールが来るようになる。そうして彼女は堪忍袋の緒が切れる。

「あなたはもう必要ない」

頭をガンと殴られた気がした。好きか嫌いかを尋ねたのに、こんな返信が来たらどうしたら良かっただろう。私は衝動的にもう送らない、と返事して履歴やアドレス、すべての情報を削除した。

 

すべてを投げ捨てたのに、すべてから逃げたのに。すべてを捧げた相手から捨てられてしまった。それはけっきょく、自分の行いは自分に帰る、という因果律の問題だ。つまり罪は償わなければならない。

己が馬鹿だとは思っていたが、ここまで馬鹿だとは思わなかった。楽しいうれしいで過ごしていたのならこんな事にはなり得まい。

 

そうして私は今、己を切り刻んで生きている。呪っていると言っても良い。希死念慮が去らないのは、部屋の隅から聞こえる自分を責める声が消せないのは、己が憎いからだ。そうに違いない。

生きることは無意味だ。意味を見出すことすら無意味だ。

ただ、価値は有った。素晴らしい価値が有った。それをすべて捨てて彼女に走ったのは、ただ衝動であれ後悔したくはない。自分の価値を彼女の価値で上書きしたのだから。

 

夢という言葉にうなされる。彼女との交際の10年は夢だった。別れた後の時間は自分を責める事に費やした。そうして、今生きている事に価値も意味も見いだせない私は、ドコニモイケナイ、そう立ちすくんで死を待っているのだ。だから、私は生きていることに虚しさしか感じない。夢すら手放したあとでは、人生は茫漠とした洞穴のようなものだから。

 

ああ、自分が面倒だ。生きていることすら面倒だ。

必要ない、その言葉に私の心はヒビが入ってしまった。それは欠け落ちた器のようなもの。好きでも嫌いでもない、必要ない。それは全存在を否定されたようなもの。今も悪夢にうなされる。

そう言えば父にもお前は必要ないって否定されたのだよなあ。あれは中学生になった頃だった。あのときもどうしたら良いかわからなかった。

 

私の人生は必要ない、という言葉でいっぱいだ。くだらない。