RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?

 

 


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限りある人生ならばその終わりすらも、自分でコントロールしたい。そう望む人は多い。だが人は死を恐れ、おそれと悲しみ、苦しみの板挟みになって生きていく。おそらく狂った思考を持つ一部の人間は、自分で手を下せないなら、人にそれを委ねるために、通り魔的殺人者となって人々に刃を振るうこともある。

京アニ放火殺人の例が記憶に新しいが、あの事件の犯人は計画して犯行を成功させた。そして自分も死ねばよかったのだが、命冥加に助かったわけである。

医療は相手が凶悪犯であろうと助ける。だから犯人は死の淵から回復した。これから公判が始まるのだろうが、36人もの人命を奪いそれ以上の人間に障害を負わせた。人数からして死刑は免れまい。

しかし思い出してほしい。殺人者が重体からよみがえったのに、おそらく死刑判決を受ける犯人は、それを受けるために治療されたのか、と。

私はこの犯人を擁護するものではない。むしろ死刑判決を受けさせたい。ではなぜこの犯人は治療されたのか。なぜ生きているのか、と。

 

死にたいものを止める気はサラサラない。死ぬのなら河原でガソリンかぶって一人で死ねばよかったのだ。そしてその前にこの本を読んで自分の生を顧みればよかったのだと言いたい。

どうせ誰も、たいした人生ではないのだ。今死のう、明日死のう、そう考えている人ほど読んでほしい本である。