つらいと思うことについて。
こう書いてから、つらいことなんてない事に気づいた。
私がつらいと思うことなんて、高が知れている。
足の小指をぶつけただとか、車にクラクション鳴らされただとか。
数え上げるのも馬鹿らしくなるような、どうと言う事のないものばかりだ。こうして書くことすら、時間の無駄。
無駄な事を書くために開いたブログに書き留める事すら、無駄だと思えるほどに。
だから、これから書くことはあまりにくだらないので、書くのを躊躇する。
しかしまあ、書いてもいいか。読むのはお勧めしないけれど。
ではなぜ、つらいと書くつもりになったのか。
意味はない。
私がつらいと考える時、クラインの壺めいたメタ思考が発生する。
つらいのはなぜか、つらいからだ。
原因?
そんなものはない。
強いて言えば、わたしがつらいと思う原因なのだ。
私自身が「わたしをして苦しめている」のだ。
だから、つらいなんて事は本当は存在しない。
言い換えれば、マゾヒストが加害者に暴行を受けても、それに甘んじるように。
つらいと思う事は自分にとってない、と断じない限りパラダイムは閉じない。
くだらない、子供じみた堂々巡りがそこで始まる。
時間つぶしに書いたとしても。
ほら、こんなにくだらない事は他にないよ。