RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

死児の齢を数える

おーい!聴こえますか!?誰か!

 

https://www.amazon.co.jp/大魔王作戦-ハヤカワ文庫-SF-503-ポール・アンダースン/

 

私の好きなファンタシーに、大魔王作戦というものがある。

その冒頭、”向こう側”に通信を送ることになったスティーヴン・マチュチェックの独白からこの話は始まる。大変に面白いお話なので未読の方は読んだ方がいい。珍しく強く人に勧める本である。

 

さて表題。

この本とは全く何も関係がないのですが、虚空に向かってスティーヴのように’あちら側”へ叫びたくなる時、精神が疲弊しているなあと感じる今日この頃です。

もう彼女と別れて10年になろうとしています。いや、もうちょっとかな。

くだらない話なのですが、もしかしたら、なんて妄想を抱きつつ今日まで来ました。彼女が私に抱いている馬鹿馬鹿しさがわかっているつもりなのに、そんな事を考えてしまうのです。

何をいまさら、という念は消えません。

彼女から必要ないと断罪されたときから、全ては終わっていたのですから。それだけで、諦めざるを得ない事はよくわかります。

国定難病を患った時も、私がうつ病診断を受けた時も、彼女からは通り一遍の慰めしかありませんでした。

あの時見舞いに来てくれたら、やさしい声をかけてくれたら、そんな事ばかりが私の心を蝕みます。

わかっているのです。彼女が関係を自然消滅に持って行きたかったこと、私が暴発しないようかぎりなく自然に、ショックを与えないようにそっと離れていこうとしたことはわかっているのです。

なにせ何度も死ぬ一歩前や衝動的な行動をしている私に、もともと彼女は信頼感を持っていなかったのですから。

 

10年経ってそれがよくわかります。彼女にとって私はもう通りの向こうの影よりもうすっぺらな存在なのです。信じてもらえると、考えている方がおかしいのです。それだけの痛みを彼女に与えてしまった自分のせいなのに。

 

指折り数えて、薬を飲んで。私はようやく生きています。

でも、毎日死んでしまえばいいのに、そうつぶやいています。夢にさえ苛まれるのに、どうして生きていることができるのか?

 

わからない。どうしてもいいかもわからない。