例えば、食事を作ろうと(と、いってもレトルトだが)立ち上がり台所に立つ。
洗い物をしている時に、突然過去の記憶が思い出され、とても台所仕事などしていられない心持ちになる。ちゃんと薬を服用しているにもかかわらず。
寝ていてもふと思い出して、それから輾転反側、眠れはしない。
子供のことであったり、前の彼女のことであったり、いろいろな悔恨であったり、それは様々だ。だがどんなことであれ、私を苛むのは同じだ。
助けはない。
誰もそれを理解したり、慰めてくれるものはない。
私は一人なんだ。
前の彼女に嫌われたくないがために、長きに渡って付き合ってきた友達も、自分から縁を切った。本当に愚かだった。
未だに彼らの夢を見る。
そういう時私は運命論者になる。私がこういう境遇になるのも、大きな病で四肢を不自由にしてしまったのも、自分の責任なんだろう。
こういう境遇に陥り、最後には彼女には必要ないと関係を断ち切られ、私がやってきたすべてを否定されるのも、そういう運命なのだ。
だから、私が死を想うのは運命論や生への姿勢では止められない。それをどうやってでもその解決策を見つけなくては、その運命は避けられない。それをどういう形であれ、示される、もしくはみつけなければならない。
その方法を見つけられなければ。
神はサイコロを振らない。だから見つけることが出来なければ、結論は一つしかない。