ああ、そうなのか。で、それの何処が悪い?
去年、般若心経を偽経とする報道がちらっと見えたので、それについて書きたい。
まず、いろいろなお経が偽経として研究者から指摘されている事が、ウィキなどで書かれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E7%B5%8C
で、それの何処が悪いのか?
サンスクリット語で書かれたものしか真としない人がいるのか。インドや中国でもいろいろな経が書かれ、もちろん日本でも書かれている。
それを偽典、偽経と判断する人はすればいいと思うのだが、人々の心を安堵させ、仏の教えを請う人たちに与えられるのであれば、それは経の正しい姿であり、決して貶められるべきではない。
だいたい、サンスクリット語で書かれたお経を凡俗が理解することは、なかなかに難しい。それを解説し、心の在り方を教えるお経も必要なわけである。
いったい、偽経に功徳はない、と研究者たちは言いたいのだろうか?
サンスクリット語で伝えられた”正しいお経”しかお経と認められないとでも、言うのだろうか。
そんな言葉は、笑って破り捨てたい。だいたい、功徳を受けたい人に、あなたの唱えるお経は偽経ですよ、と忠告する輩はバカ野郎と言う言葉をかけられても、致し方ない。
信仰はそんな言葉では傷つかない。信仰の名のもとに書かれたお経であるならば、それは偽経などと言われることはないのだ。