もう何度書いたかわからないテーマであるが、書いても書いても、前に書いたのを忘れ、今書いているのもそのうち忘れるであろう、という確信のもとこれを書く。
なぜ確信できるかと言うと、ブログの過去タイトルに時折何書いていたっけな、と気にすることが有るからだ。まず書いたものを読み返すこと自体まれにしか無い。だからオンナジコトをくだくだしく書くのもどうかなあ、と思うのだが、忘れているので仕方ない。何たる三段論法。阿呆である。
ちょっと前に悪しきノーマライズ、均質化社会がなぜいけないか、という事を書いた。自分としてはまともな主張だなと思ったのだが、ふとブログのタイトルをつらつら見るに、なんと5月にこんなエントリ書いているではないか。
ああ、この頃から考えていたのね。考察が深まったから書いたのじゃなくて、その時の衝動で書いたのね、という事がよく分かる文章である。
書いたことすら忘れていたよ、という気分。
衝動は生きる上で大きなエネルギーなんだな、と一人納得。
過去を生きるという事は人生の重荷に他ならない、まさに。