RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

続・一人暮らしのアパートで

ちょーっと間が空いちゃったけど続きを書きます。

 

ゲームライターとかやってる間に、私が出来たコネで漫画家志望だった実弟KEN川崎を、当時大競争だったエロ漫画アンソロジーを編集している編プロに紹介する機会が有った。持参した彼の原稿はかなり好評で、そこで即プロデビューが決まったのだが、私もその尻馬に乗って同じ本に数ページをもらい、コミカルショートショートを半年ほど連載したことがあった。

KEN川崎はとても良い絵を描く作家で、デビュー前からいろいろと漫画家の知り合いもでき、デビューしてからは知り合いも増え、順風満帆と言ったところだった。

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しばらくすると内々では有ったが、白泉社ヤングコミック誌への連載打診もあり、それは充実したことだったろうと思う。

 

私はと言えば、シナリオ担当として社内で進められていたパック・イン・ビデオ名義ファミコン新作、今ならノベルゲーと呼ばれるアドベンチャーゲーム装甲騎兵ボトムズ」を、進行管理していた上司が辞めたので、小説を書きながら進行管理、プログラム担当プロダクションとの折衝、その他諸々を行っていた。これはファミコンの能力をフルで使い、シナリオクリア型のアドベンチャーながら、時々シューティングゲームが入る(イメージとしてはスターラスターのような形)というものを目指していた。

その時描いていた小説がこれ。

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ネタ元としては古谷三敏の「ハチャメチャラボ」を目指したギャグショートショートだった。一応作家としては私もこれがプロデビューで、無い知恵を絞りそれでもSFになるよう、頑張ったつもりだった。

 

そうして半年ほどが過ぎ、私は会社に居続けだった。いくらゲームはいろいろやったからと言って、即ゲームが作れるわけではない。ゲームライターはやめ、いろいろ勉強しつつ会社に泊まり込んではシナリオを書きしていた。そこでゲーム制作のために正社員にしてやるからと言われた。プログラマに進行をやり取りしてはなんとか進めていた。例によってグラフィッカーはいなかったので、友達が起業していたゲームプロダクションに入ってもらうことになった。いろいろと忙しい季節だった。

そんな時、KEN川崎が亡くなった。交通事故だった。

家が遠いので少しでも近いところに住もうと、私が引っ越す一週間前のことだった。彼は仕事のために新しく借りたがまだ引っ越せなかったアパートへ、郵便物を取りに行こうとしてのことらしかった。

あの頃のことは断片的にしか思い出せない。記憶が錯綜してあいまいなのだ。園田健一先生から弔電をもらったとか、その頃知り合いだった土器手司さんの奥様から電話で励ましてもらったとか。友人たちが手分けをして葬儀の後始末をしてくれたりとか、勤め先から弔花を贈ってもらったとか。

今ではまるで半透明の膜を通して見るような気持ちがする。

けれど現実は非情で。一週間後には私は家を出て新しい住まいに移った。中央線の三鷹。今では懐かしい土地だ。

その駅からほど近く、1k六畳の風呂なしアパート。そこが新しい家だった。

 

まだあとちょっとだけ続きます。