RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

一人暮らしのアパートで

もうだいぶ前のことなのでかなり忘れてしまったのだが、一八歳辺りから漫画の編集とか雑誌のライターをはじめて、なんだかんだで三~四年ほどやった事がある。まだロリコンという言葉が輝いていて、オタクとしては八四年のDAICON4オープニングアニメがヒットし、漫画界では吾妻ひでお先生といしかわじゅん先生が「メジャーマイナーマイナーメジャーの戦い」とかが話題だった辺りの頃だ。

その頃白夜書房などでライターとかOVAアニメの取材ページなどをやっていたら、八六年あたりでゲーム雑誌のライターをやらないかと声をかけられた。ゲーム自体は好きだったし、ファミコンも親しんでいたので、喜んで参加させてもらったのだが、ゲーム雑誌編集に関わるのは初めてだったので、かなり最初は面食らった。

仕事は基本的に割り振られたゲームを攻略し、発売前のものは制限された内容で紹介記事を作成する。発売後のゲームは同じように攻略し、RPGならマップ解説やドロップアイテムのリストを作り、モンスター攻略法などを作って編集と公開できる部分を確認する。アクションゲームもだいたい同じだが、ゲーム全体でバグ技と呼ばれるものを探すというようなこともやっていた。もちろん私には無理なので、編集部ではライター兼専属ゲーマーもいて、彼らが日夜ゲームを攻略する事で見つけ出すものだった。

まあそれだけでは終わらないのがこういう稼業で、八八年のドラクエ3発売の日には先発隊が並んで買い込んできた実機を私を含め何人かで受け持って攻略チャートを書きつつドロップアイテムを見つけたり、クエスト攻略、いわゆる三日三晩徹夜を重ねて、同僚と情報をやり取りしつつ早解きをやって攻略本を出すことになっていた。まあ前にやらかしていたことが原因でエニックスから差し止めが入ったんですけどね。それでもボカシにぼかして単行本出したんだからすごい。

その頃恋した彼女がいて、彼女がイラストなどの仕事が途切れたという話を聞いたので、バイトとして紹介したのが、会社でPCエンジン用に作っていたシューティングゲームのグラフィッカー、いわゆるドット打ちであった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E6%B5%B7%E5%BA%95%E7%A5%9E%E8%A9%B1

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ゲーム制作は進行から何から、なんと一人でやっていてコンポーザーは外注予定、サブプログラマはおらず、グラフィッカーはアテがつかないので後回し、という凄さだった。だが、その人別に凄腕というわけではなく、日がな一日PCでゲームしたりイス寝していて、夜は会社に泊まるけど編集部へ遊びに来て、紹介のためにゲーム会社から借りたEPROM版のテスト基盤を借りてはプレイする、というぐうたらだった。またデバッガーは人件費の問題から編集部からゲーマーを借りる予定だったという。

上司からせっつかれてもその人グダグダしていたので、テコ入れとして若いけど腕はすごいプログラマくんが入り、私の彼女とその友達がグラフィッカー、その頃いまざきいつきくんの友達だった人がコンポーザーに急遽入り、なんとかケツカッチンで納品できたのだが、このゲームほんと運ゲーで、敵の撃つ弾や動きのロジックなどはすべてランダム。作った本人がそう言うんだから困る。

サブのプログラマくんがある程度ロジックを整えてくれたようだが、デバッグに当たったゲーマーはみんな「こんなの出来るか」って匙投げてた。

 

あ、なぜアパートに引っ越す事になったか、書けなくなってしまった。この始末は明日にしよう。