RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

死刑囚のパラドックス

ここに一人の死刑囚がいる。死刑囚は当局高官に宣言される。
「おまえの死刑は来週月曜から金曜のどれかの日に執行される。ただしどの日になるか予測ができない日に執行される」

これで死刑執行は不可能だ、と死刑囚は考える。まず最終日である金曜日に執行されることはあり得ない。なぜなら木曜になれば金曜と予測できてしまうので、高官の言葉は真にされない。したがって金曜は除外される。すると同様な理由で、水曜になれば木曜しか残っていないから、木曜も除外される。以下同様の理由で、全ての日が除外されてしまうのだ。

だが火曜の朝、高官が来て言う。
「死刑執行は今日だ」
そして死刑は執行された。

 

「死刑囚のパラドックス」とは、「未来の予測できない時に起こる」が、「いつまでに起きるかという期限は決まっている」という事象に立脚している。

これを現実に当てはめてみると、まず考えつくのは地震予知だろう。上記の期限を地震は持たないように見える。だが必ず起きるので、確率論的に期限はパーセンテージに置き換えられる。であるために、確率的に100%地震が発生するまで、危険性は高まり続ける。

予測できない時に起こるが、起こる期限は決まっているというのは、矛盾と言わざるを得ない。 

長々と書いたが、死刑囚の如く私も待ち続けている。私のリハビリは毎週水曜日にあるのだが、毎回この日が疎ましくてたまらない。身体が不自由なのを直面させられるからだ。毎日あと3日、あと2日と数えてその日を迎える。精神的に追い詰められる。だが、刻々と待つよりはいいかもしれない。その日を過ごせば、またあと6日…と数える日々に戻れるのだから。