鬱病がひどくなってきて、もう仕事が続けるのが辛くなってきた当時、今まで経験したことのない、いやあるにはあるが、気にするほどでもなかったゲシュタルト崩壊が、頻繁に起こるようになって怖かったことがある。
別段それが起きるからと言って、なにか別の症状が起きるわけではなく、健常であっても起きることは知っていたが、気弱になっている時に起きてくると、話が違う。書かれている文章がよくわからなくなり、特定の文字がわかるけれど読めない、という何だかおかしなことになる。
付き合っていた彼女に、それを訴えてみたが、言下にバッサリと切り捨てられた。そんなもの誰でも起きるよ、怯えるようなことじゃない、何がこわいの?
そう言われればそうなのだが、私の心を知ってほしいと思っただけなのに。わかる気がないんだな、と思ってそれ以上言うのを止めた。
特にどうということもない、ただのすれ違いだと人は思うだろう。自分でもそう思う。だが、それと同時にわかってもらえない寂しさ、悲しみは抑えられない。
いや、そんな事を今考えても仕方がない。もう十数年以上昔の話だ。そんなことに拘泥するのなら、無を感じていた方が、まだ幸せなのかも知れない。
だが、今でもゲシュタルト崩壊はこわい。