RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

決定論的運命論を考える

私の考える論の主義主張の根本に、決定論的運命論がある。量子力学で一旦は否定された決定論だが、超決定論として今も研究されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E8%AB%96

 

私の考える決定論的運命論は、まず決定論的宇宙がある。しかしその決定論的な事象は観測者の前では、ほとんど姿を表さない。変わりに運命論的な振る舞いを起こすと見えるからだ。決定論の下には運命論の網があり、その網目には人間の選択可能性としての運命がある。

だが、どのような道を選んでも決定論としては同じである。運命的成否を人間から見て、可能性があったから運命の選択に成功した、というように受け取れても、決定論から見ればそれは最初から確定していたのだ。

そして、運命の選択。それは自由意思であるのだろうか。それすらも決定論的運命論に縛られてはいないだろうか。