バカと言われるのが嫌いだ。
そんなもの誰だって好きじゃないと思われることだろう。
自分からバカだなと悔やむ事は誰でもあるだろうが、人間関係で失敗したり何か大事な事をしくじってバカと罵られることなんて、社会人にはめったにある事ではない。
しかしそうではない、これはそうした話ではないのだ。
たとえば本を読み、人と話しているときに私は気づく。蓄えてきた知識や考えを披瀝する時私は自信を失いかける。なんて私はバカなのか。
それだけではない。自分が知り合うだけでも世間には頭の良い人がたくさんいる。そうした人たちと、ただ話をする時でさえ私はじっとりと手のひらに汗をかく。
そんな考えは聞いた事もないです。あなたが言った本は読んだ事もありません。
それは常識です、と言われはしないか。理解できない事を前提に話しをされはしないか。
むりやり合わせた話にボロが出てはしまわないか、こんなことも知らないと嘲笑されはしないか焦るのだ。
理由は判っている。私には誇るべきものがない。
学校で学んできたわけでもなく、たいした仕事を選んできたわけでもない。
友人たちの学歴や仕事振り、選んだ職業への熱意を知るたび、自分を省みて私はバカだなあと自嘲する。何もそれは学歴などに拘わらない。
向上心は大事だよ、姿勢が大切だよ。
そう言葉にはしてきたのに、本当に大事な考え続けるべき重要な事柄を思うこともなく、ファッションに走った知識を弄んだ思考のなんと薄っぺらなことか。
そうした言葉を口にした時、ようやく私は自分が愚かであり、考え至らない事に気づく。恥ずかしい失敗や知ったかぶりを微苦笑で迎えられて、私は蒼白の顔色で立ちすくむ。
そうした時、私の中でワタシが言うのだ。心の中のワタシが嘲笑するのだ。
「あんたバカ?」
言われ続けた挙句、私は叫ぶ。しかしその叫びは残響と羞恥を残して消えてしまうのだ。これほどむなしい事はないだろう。
「バカって言うな!」
いけない、こんな観念的な事を書き出すとすぐ書きたい事を忘れてしまう。
最近の読書日記
黒い家/貴志祐介
映画化された時は見向きもしなかったが、BOOKOFFで100円なら読む気になるものだ。
物語が少し単調ではあるものの、サイコスリラーとしてはまずまず。さすがに業界にいただけあって保険会社の内幕などが詳しい。キャラクターは最初少し練りこみが浅く感じるが、話しのスピードがあり、そのうち殺人鬼が怖くなってくるのであまり気にならない。
特にさらわれた彼女を救いに乗り込んだ殺人鬼の家の描写は、「テキサス・チェーンソー・マスカー」を思い起こさせる。あっちはドライでこっちはウェットと言う差があるけれど。
だが映画を見てもいないのに、大竹しのぶのイメージだけが強くて読んでいる間中情景が浮かぶのは困り物だった。
読書中毒/小林信彦
小林信彦の事が妙に最近会話に出てくるので、読み返す。やはりこの人の文章はおもしろい。リズムも好きだし、言及も視点も納得できる。学びたいと思って読むが、いつも楽しんでしまっている。言ってみればボードヴィルを見てくすくす笑ってしまうようなイメージ。永井荷風とパトリシア・ハイスミスを読みたくなった。