RE:あらかじめ失われた日記

珈琲や紅茶が好きなおっさんです。でも別に銘柄にはこだわりません、日東紅茶とネスレのポーションで十分。

新魔界行

「えー、今日も今日とてブラック魔王の……」と野沢那智のナレーションが聞こえてきそうな滑り出しの一冊。
魔界行、好きだったのにな。

菊地秀行はデビュー当時から好きな作家である。
朝日ソノラマの作家としては新世代に属するのではないか。
いや、今またどんどん新人作家がいるのだから、SFで言うニューウェイブだったのだろう。
デビューの頃は豊かなアイディアと筆力を感じさせる文章に、まさに熱狂したものだった。どろどろとした内容なのに爽やかな読後感があって、「風の名はアムネジア」「インベーダー・サマー」などは素晴らしい作品だった。
そういえばこの二冊、合本になってこの間新しく出ていたのだった。
朝日ソノラマでデビュー作の後に発表された「エイリアン」シリーズと呼ばれる一連の作品でも三巻目までは本当に出版が待ち遠しかったものだ。
「エイリアン秘宝街」「エイリアン魔獣境1・2」「エイリアン怪猫伝」……ここまでは、とてもとても好きだった。
そこまで、やるかァ? つい口を突くアイディアとアクション、キャラクターの味に私は毎回、興奮しすぎてしまったものだった。
ソノラマ以外でも活躍を始めて、魔界都市系統の作品群、その他の作品も素晴らしかった。
一時は本気で憧れたものだ。今となっては恥ずかしい青春の一ページである。

けれどいつしか、菊地秀行からその輝きは失われた。最初に感じたのはエイリアンシリーズの違和感だった。血沸き肉躍る、と言うあの感覚が無くなったのだ。
魔界都市系統の作品や短編集で時折見つけた期待も、以前の思いを懐かしがらせる灯かりにすぎない。
そんな思いでいるところに「魔界行」が現れた、ように感じられる。
魔界行」の粗筋をかくような真似はしたくない。その作品の根底は復讐だ。失ったものへの慟哭だからだ。それを伝わるように書く事は、作品を自分流に書き直すことに等しいのではないか。
魔界行」も1・2・3を合本にした完全版が先ごろ発売されたから、読みたい人は読んでみるといい。好き嫌いは分かれるけれど、とても面白いと思う。
さて、ここまで書いておいて、読んでくれた方にはまったく申し訳ないのだが、「新魔界行」は読む価値があるのだろうかと、自問せずにはいられない。
理由は最初に書いたナレーションのようなものだ。
二十年を経て、主人公が得たものは虚無か。それはいい。けれど、そうであるならなおの事主人公の再生の物語とするべきではないのか。
これなら松竹映画「ガメラ」シリーズの大迫力(おおさこ・ちから)の方がよほど優れた物語性を持っている。

まだ始まったばかりだと思いたいが、どうにも続刊に手が伸びない気がする。